忌中払い


「この年になって息子を亡くすとは・・・」
ハンカチで両目を覆って、喪服の老婆が泣き伏す。
「ばあちゃん・・・いつまでもそんなだと、伯父さんが気になって成仏できないよ。」
「頼忠・・・あんたは長生きしなくちゃいけないよ。母親にこんな思いをさせるのが一番親不孝だからね。」
涙声のまま詰め寄る老婆に、真新しい黒のスーツに身を包んだ頼忠は、黙って何度も頷き、優しく背中をさすってから口を開く。
「少し落ち着いて。何も食べないと今度はばあちゃんが身体を壊してしまうから。」
「私なんか、もういいんだよ、いつ死んだって・・・頼忠、おあがり。」
頼忠は困り果ててテーブルの上を見ると、コップに注がれたビールを一口飲んだ。
そこへ中年女性が割り込む。
「ほら、おばあちゃん、頼忠ちゃんが困ってるよ。頼忠ちゃん、ここはいいから、あんたも少し何か食べなさい。恵さんのご実家が、美味しいお寿司を差し入れてくれたのよ。」
「すみません、伯母さん。」
頼忠がため息混じりに言う。
「あっちに時朝が居るから、従兄弟どうし話でもしながら、ね。せっかくの忌中払いだもの。」
頼忠は頷くと、コップだけ持って立ち上がり、一人で静かに寿司をつまむ時朝の隣に腰を下ろした。
「ご無沙汰してます。」
「頼忠君・・・大変でしたね。」
「いえ、ばあちゃんには食事から洗濯まで世話になってますから、このぐらいの恩返しはしないと。」
そう言ってぬるくなったビールを飲み干す。
時朝が近くのビール瓶を取って、そのコップに並々と注いだ。
「・・・すみません。」
頼忠がそう言ってから、こぼれそうになった泡をすする。
「知らせを受けてから今まで、ずっとあの調子ですか・・・」
「はい。電話を取ったのが私で良かったです。恵伯母さんも半狂乱でしたから。」
「急な事故でしたからね・・・」
時朝が、憔悴しきった顔でボソボソと寿司を食べる恵に目を向ける。
隣では詰襟を着た泉水が、泣き腫らした瞳で放心したようにテーブルを見つめていた。
その横で利発そうな少年が、寿司を小皿に取ったりして、懸命に泉水の世話を焼く。
私立中学の制服なのだろうか、上品なブレザーを着ている。
時朝はそれを見て苦い思いに囚われた。
つまらなそうに酒を飲む自分の上司に目を向ける。
その隣で詰襟を着た少年が、黙々と寿司を頬張っていた。
・・・同じ御門の血が流れながら、こうも差がついてしまうものなのだろうか。
隣で割り箸を割る音がして、時朝が我に返る。
頼忠が泉水の様子を見ていられずに、巻き寿司を一つ取って口に放り込んだところだった。
「そう言えば、頼忠君は、大学生でしたよね?」
「はい。来春に卒業です。」
時朝が穏やかに微笑む。
「早いものですね。確か体育の先生を目指してらしたんでしたっけ?」
「はい。でも、いろいろ考えた結果、縁故でスポーツメーカーに就職することにしました。」
「そうですか・・・」
そこへパタパタと足音を立てながら、エプロンをした頼忠の母親がやってきた。
「頼忠、時朝さん、お酒、足りとる?」
「あ、オカン、ビールもう2本持ってきて。」
「え?ちょっとあんた、飲みすぎやないの?」
「今飲み始めたばかりやし、2本で終わりにするよって・・・時朝さんも飲みますよね?」
時朝が微笑んで頷く。
「飲みますよね?やって。気色悪いわあ。東京の大学に行ったおもたら、あっちゅう間にバイリンガルのうわばみになってしもて。体育会系は嫌やねえ、時朝さん?」
頼忠の母がくるくると表情を変えながら言い、時朝が苦笑した。
頼忠がうるさそうにシッシッと手を振る。
「あっち行って。」
「んまー、生意気。ちっとは時朝さん見習って、愛想笑いの練習でもせんと、彼女もできんよ。」
ピク、と頼忠が動揺する。
その様子に、頼忠の母親は驚いて頼忠を覗き込んだ。
「あんた、まさか彼女一人もおらんの?どっかおかしんちゃう?」
「・・・何人もおったらそれこそおかしいやろ。」
頼忠が眉間にしわを寄せてガリをつまむとビールで流し込む。
「時朝さんにギターでも教えてもらえばモテるんちゃうの?」
「ギターでモテる時代はとっくの昔に終わっとんねん。もうええから早くビール!」
「はいはい。」
頼忠のイライラ顔を楽しむように見ながら、頼忠の母がその場を離れる。
エプロンのポケットから飴を出して泉水の隣の少年に渡すと、頭を撫でてからキッチンへ戻っていった。
少年が困ったように飴を見つめてから、ズボンのポケットへ入れる。
それを見ながら、頼忠が口を開いた。
「そちらのお店はどうですか?」
「そうですね・・・不況でなかなか・・・」
時朝が自嘲的な顔をした。
「そうですか・・・今もお店はお一人で?」
「はい。でも、最近ある学生さんが店に来るようになりましてね。その方が色々手伝ってくださるんですよ。」
「へえ・・・」
「家にも学校にも居場所がないみたいで、毎日のように店に来るのです。こちらも楽器を買ってもらった手前、邪険にするわけにもいきませんし、なりゆきで話を聞いたり面倒を見たりするうちに、いつのまにかアルバイト化してしまって。」
「家に居場所がない・・・」
頼忠が心配そうな顔になるのを見て、時朝が眉を上げる。
「あ・・・教師を目指してらした方は、そういう学生が気になるのでしょうね。」
「ええ。」
「もし良ければ、会ってあげて下さいませんか。趣味の仲間でもできれば彼も落ち着くと思うのです。頼忠さんは、ジャズを聴きますか?」
「いえ、あまり・・・でも、フュージョンは好きでよく聴きます。」
「フュージョンか。それも良いかも知れません。彼はサックスを吹くので、ジャズバンドを組みたがっているのですよ。とても真面目な頭の良い学生さんですから、頼忠さんとも気が合うと思いますよ。」
「ジャズバンドですか・・・家庭教師で見ていた生徒にギターを弾ける高校生が居ますので、彼に声をかけてみましょうか。」
「ありがとうございます。わたしもメンバーを探してみます。親父が客先にピアノの上手な男子高校生が居ると言っていたので声をかけてもらっておきましょう。あとはドラムスか・・・」
しばらく考えてから、頼忠が少し頬を染めて話し出す。
「あの・・・母に言われたからではありませんが・・・私も社会人になる事ですし、新しい趣味として楽器を始めてみるのも良いかも知れません。ドラムスというのは幼い頃から鍛錬をする必要のない楽器なのですよね?」
「ええ。ドラムセットに限らず、楽器というのは誰でもいつでも始められるものですよ。」
時朝が微笑んでビールを一口飲むと続ける。
「高校や大学で楽器を始めてプロの世界に入っていくミュージシャンも居るのです。」
「そうですか・・・面白そうですね、やってみましょう。」
頼忠が微笑んで頷いた。




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