ナチュラル



花梨が集合の10分前にin the timeに行くと、イサトと勝真が接客カウンターの椅子に座って和仁と話していた。
「こんばんは。」
「よお。」
「早いな。」
勝真が言いながら、隣の椅子の上に置いてあったカタログをどかして花梨を促す。
「正式にメンバーになったそうだな。」
勝真からカタログを受け取りながら和仁が花梨に微笑んだ。
「はい!」
花梨が椅子に座って嬉しそうに頷くと、呆れたような顔をする。
「お前もずいぶん嬉しそうだな。さっきからこいつらもお前の歌を褒めちぎっていてうるさいのだ。」
花梨が驚いて二人を見ると、勝真は少しばつの悪そうな顔をしたが、イサトは気にせず言い返す。
「和仁も花梨の歌を聴けば分かるって。」
「分かった。分かった。」
和仁は苦笑して両手でイサトを制すと、奥のドアへ入っていった。
「ぜってぇ分かってねぇよ。」
イサトがぼやくと同時に、入り口の自動ドアが開き、泉水が入ってきた。
「皆さん、こんばんは。」
「こんばんは、泉水さん。」
「よ。」
勝真が軽く手を上げる。
椅子が3つしかないことに気付いた花梨が、立ち上がって泉水に席を譲ろうとしていると、奥のドアが開いて、和仁がギターを抱えた中年の男性を連れてきた。
「花梨、店長の時朝だ。」
和仁に紹介されて、時朝が静かに頭を下げる。
「高倉花梨です。」
花梨もぺこりと頭を下げた。
そのうしろで自動ドアが開き、幸鷹が入ってくる。
「space‐timeの新メンバーだそうだ。」
和仁が時朝に短く紹介すると、時朝は軽く目を見開き、幸鷹と勝真に向かって微笑んだ。
「そうですか。space‐timeも大所帯になりましたね。」
「そうだな。」
「お陰さまで。」
勝真が昔を懐かしむような顔をして言い、素早く状況を飲み込んだ幸鷹が時朝に頭を下げる。
時朝が微笑んだまま、接客カウンターにギターを置くと、イサトがGパンのポケットから財布を取り出した。
和仁が花梨に説明を続ける。
「お前が来るような時間は殆ど私が店番をしていると思うが、私が不在の際は時朝を頼りにするといい。」
そう言ってレジの上に貼り付けてある箱から名刺を取り出す。
「それから、これが店の連絡先だ。スタジオ予約などは電話でも受ける。定休日は木曜だ。他に何かあるか?時朝?」
「いいえ。」
時朝がイサトからお金を受け取りながら、真面目な顔で首を振る。
"in the time店長 源 時朝"と書かれた名刺と、時朝の様子、それから泉水を見比べて、花梨の中にいくつか疑問が湧き上がったが、この場でそれを口に出すのははばかられた。
「よろしくお願いします。」
とりあえず時朝が一番偉いはずなので、そちらへ向かって頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
時朝が微笑んで頭を下げた。
「よし。」
イサトがギターを眺めて嬉しそうに呟く。
「どこか壊れたのですか?」
幸鷹と泉水がイサトのギターを覗き込んだ。
「夏休みのバイト代が貯まったからペグ交換してもらってたんだ。」
「も、申し訳ありません。壊れたわけではなかったのですね。」
「まあな。でも勝真にもらった時から錆びてたんだよ。」
「お前が昔ポカリこぼしたからな。」
「そうだっけ?」
「ポカリスエットですか。あれは食塩を多く含んでいますから一発ですね。」
幸鷹の言葉に、イサトがへぇ、などと言いながらペグを見つめる。
「終わったみたいだな。」
自動ドアから外を見た勝真が呟いた。
ギターを背負った青年が入ってきて、和仁にスタジオの鍵を返すと、次のスタジオ予約の話をし始めた。
和仁は、応対しながら鍵を勝真に渡し、予約台帳をめくり始める。
時朝がその様子を見て微かに微笑み、レジに入金を始めた。
「頼忠も来たみたいだし、行こうぜ。」
勝真の言葉に花梨が外を見ると、暗闇の中でハザードランプが点滅していた。

花梨たちが頼忠のドラムをスタジオに運んでいる間に彰紋と泰継もやってきて、全てスタジオに運び終わったときには、翡翠以外の全員がそろっていた。
幸鷹が壁ぎわに置いてある長机をスタジオの真ん中に移動すると、それぞれが丸椅子を持って机の周りに集まった。
花梨もそれに倣う。
「僕、MD持って来ました。」
彰紋が嬉しそうにカバンをゴソゴソと探る。
幸鷹もクリアーケースから筆記用具と一緒にCDを取り出した。
頼忠もドラムと一緒に置いてあった荷物の中からCDを持ってきた。
イサトはつまらなそうな顔をして直ったばかりのギターを取り出し、アンプをつなげずに何か弾きはじめた。
弦だけの渇いた音が微かに響く。
「なんだよ頼忠。今日は花梨の歌を決めるんだぜ。」
勝真が頼忠のCDを見て言うと、頼忠が頷いて言った。
「分かっている。」
「インストの方も、少しレパートリーを増やしたいですからね。」
幸鷹も頷く。
「このCDは、花梨さんのイメージによく合っていますので。」
手を出した勝真にCDを渡しながら、頼忠が微かに微笑んで花梨に言った。
CDのジャケットを見ていた勝真が口を開く。
「へえ。おい、花梨、頼忠がお前のこと天然だとよ。」
「へ?天然?」
「勝真!そのような意味ではない。」
「私も花梨は自然体だと思う。なぜ頼忠は怒る?」
「あの・・・天然・・・バカ とか、天然・・・ボケ とか、そういう意味が含まれる場合があるのです。」
「そういう意味なのか。頼忠。」
「違います!」
「おやおや、白熱しているねぇ。」
翡翠がいつもの微笑を浮かべて入ってきた。
全員が唖然として翡翠を見つめる。
花梨はなぜメンバーが唖然としたのか分からず両方を見比べていた。
幸鷹が眼鏡の位置を直しながら口を開く。
「あなたがミーティングに来るなんて、珍しいですね。」
「姫君の歌を決めるというのでね。私にも意見を言う権利はあるだろう?」
「それでしたら、ミーティングには毎回いらしてください。」
「君達が決めた曲を文句も言わずに演奏してきたのだから、それでいいじゃないか。」
「そんな言い方・・・」
「えーと、あの、ナチュラルっていうアルバムなんですよね。」
幸鷹と翡翠の間に険悪な雰囲気が流れ始めたのを見て、彰紋が空々しく言った。
頼忠も、頷いて続ける。
「シンセサイザーが主体のアルバムですが、フルートやトランペットの音色が主旋律の曲もありますので、泉水のアレンジ次第で今までとは違ったものになると思います。」
「いいですね。私もたまにはメロディー以外の演奏もしたいのですよ。」
落ち着きを取り戻した幸鷹が微笑んで答えた。
翡翠がさり気なく花梨の隣に椅子を持ってきて座る。
「聴いてみましょうよ。」
彰紋が言うと、幸鷹がCDを持って隣のPAルームへ入った。
ガラスで隔てられたその部屋に電気が点き、録音機材が無造作に積み上げられているのが目に入る。
屈んだ幸鷹が機械を操作すると、天井に設置された大きなスピーカーから微かに音楽が聴こえてきた。
イサトが右手で上へ扇ぐような仕草をすると、ガラスの向こうでそれを見た幸鷹がボリュームを上げる。
大き目の音量でイサトがOKサインを出し、幸鷹が機材から手を離した。
「これカッコイイじゃん。」
イサトがCDに合わせてギターでコードを刻む。
「イサト君、聴いただけでできるの?すごいね!」
「これぐらい簡単だぜ!」
花梨が驚くとイサトが得意げに胸を張った。
「これが花梨のイメージか?」
首を傾げた勝真に、頼忠が首を振る。
「次の曲を聴いてみろ。」
PAルームから戻ってきた幸鷹にイサトが言い放つ。
「次の曲だってさ!」
「はいはい。」
幸鷹がオバサンのような言い方をして引き返した。
次の曲がかかると、皆が黙って耳を傾ける。
幸鷹が戻ってきて静かに言った。
「明るくて可愛らしい曲ですね。」
「なんかキラキラした音がするぞ。」
「シンセサイザーでプログラムしているようですね・・・申し訳ありません・・・これは演奏では再現できないかもしれません。」
「問題ない。私が弾く。」
「手でかよ?バカ速い上に延々と続くぜ?」
勝真が声を上げ、泉水が傷ついた顔をした。
「そうですか・・・分かりました・・・楽譜に起こします。」
「このピアノソロも良いな。確かに花梨のイメージだ。」
泉水の様子には気付かず、泰継は目を閉じて聞き入る。
「なんだい?この曲が姫君のイメージかどうかを皆で吟味しているのかい?」
ようやく状況を飲み込み始めた翡翠が首を傾げる。
花梨は黙って彼らの言葉を聞いていた。
こんな可愛らしい曲が自分のイメージだなんて、と思うと嬉しくて言葉に詰まる。
「次の曲はフルートの音色がメインです。」
フェイドアウトで曲が終わって、頼忠が静かに言うと、次の曲が流れ始めた。
民族音楽のようなリズムパターンに素朴な音色の旋律が重なって、草原の真ん中に佇むような雰囲気を醸し出す。
「泉水さん、やりましょうよ、この曲。」
彰紋が気に入ったらしく、ねだるように泉水に言った。
「で、ですが・・・私のような者が主旋律など・・・」
「何を言う。お前も楽譜を書いてばかりではつまらんだろう。」
「あ・・・ありがとうございます。」
泰継の言葉に、泉水がほっと息をついて胸に手を当てた。
「私は、この曲が花梨さんのイメージに合う気がします。」
幸鷹が突然言い出して、泉水に励ましの言葉をかけようとしていた花梨は驚いて口をつぐむ。
「へ?」
イサトが首を傾げる。
「そうですね。少し神秘的な感じで、花梨さんの歌に込められた包容力を感じますよね。」
彰紋が頷くと、翡翠も幸鷹を一瞥する。
「私もそう思うよ。どうやらこういう部分では気が合うようだね、幸鷹。」
花梨はまた何も言えなくなってしまった。
全員が黙って耳を傾け、次の曲が始まった。
弱めのパーカッションが優しくラテンを刻み、ピアノが包み込むような和音で旋律を奏で始める。
「俺はこれだな!」
イサトが声を上げた。
「何がだ?」
泰継が驚いてイサトを見る。
「花梨のイメージにピッタリだと思わねぇ?」
「はい。花梨さんの優しさがよく現れていると思います。」
泉水が遠慮がちに言って頷いた。
「なるほど。さすが頼忠。だてにインストだけ聞いてないな。」
「一言余計だ。」
「花梨はどうだ?」
「えっ?」
俯いていた花梨が顔を上げる。
「どの曲が好きですか?」
彰紋もそう言って興味深そうに花梨を見つめる。
「どれも素敵な曲で、その上、私のイメージだなんて言ってもらっちゃったら、嬉しくて選べないです。」
花梨は頬を染めてはにかんだ笑顔を見せた。
「本当に、姫君は可愛いね。」
翡翠がその場に居る全員の気持ちを代弁した。

幸鷹のCDは、ジャズボーカルのオムニバスだった。
彰紋のMDは、いくつかのCDの中からピックアップして編集してきたもので、ジャズだけではなく、スタンダードと呼ばれる古い映画音楽なども含まれていた。
両方とも、聞かなくてもだいたい分かるような有名な曲ばかりが収録されていた。
「俺はジャズ分かんねぇから、何でもいいよ。」
イサトがぶっきらぼうに言い、再びつまらなそうにギターを鳴らし始める。
それを見て、彰紋は少し悲しそうな顔をした。
「あの・・・次回はクリスマスライブですし、クリスマスソングはどうでしょう?」
「あ、僕もそう思ったのでいくつか選曲してきました。」
泉水の提案に、彰紋が気を取り直して微笑む。
幸鷹が紙にボールペンでクリスマスソング、と書き、そのまま器用にペンをくるくると回しながら口を開く。
「私は『Fly me to the moon』を推薦します。」
「有名な曲ですね。」
頼忠が同意した。
「私は姫君に『枯葉』を歌って欲しいねえ。」
「枯葉・・・ですか?」
「そう。終わった恋を偲ぶ歌だよ。季節も丁度良いからね。」
「終わった恋を偲ぶなんて、私に歌いこなせるかな?」
花梨が独り言のように呟く。
それは、花梨がまだ恋を知らないことを示していた。
何人かが微かに息を飲み、幸鷹が回していたペンを取り落とす。
翡翠が微かに笑いながら言った。
「さあね。試してごらん。」
「はい。」
花梨が神妙に頷くのを見て、幸鷹が紙に枯葉、と書き加えた。
「『虹の彼方に』なんか、花梨にお似合いじゃないか?」
勝真が彰紋のMDケースに細かく書かれている曲目を見ながら言う。
「それなら私も知っている。良い歌だな。」
「あ、私も歌いたいです!」
「このMDに入っているのはジャズアレンジになっているので、原曲とは少し違うんですよ。泉水さん、これをお貸ししますので参考にしてください。」
「分かりました。」
「まずはこのくらいにしておきましょう。余裕ができたらまた増やしましょうね。」
幸鷹が花梨を見て優しく微笑む。
花梨もしっかりと頷いた。
それを合図に頼忠が立ち上がり、椅子を片付ける。
他のメンバーも動き出し、頼忠のドラムセットを組み立て始めた。
花梨も手伝おうとその中に加わる。
自分にも組み立てられそうなシンバルスタンドを見つけて立てていると、近くに居た翡翠がふと口を開いた。
「おや?今日の姫君はシャンプーの香りがするね。」
「えっ?」
「いつもは果実の香りのコロンをつけているだろう?」
「は、はい。確かに今日は、昼間汚れたので、シャワーを浴びてから来ました。」
「へえ、さすが翡翠だな。どれどれ。」
バスドラムを立て終えた勝真が、花梨のそばに寄って深く息を吸い込む。
花梨はどうしていいのか分からず頬を染めてじっとしていた。
「本当だ。シャンプーのいい匂いがするな。」
にやにやしながら離れると自分のベースが立てかけてある場所へ戻っていった。
「私も嗅ぎたい。」
タムのネジを締めていた泰継が花梨のそばに寄る。
花梨は恥ずかしさのあまり逃げ腰になった。
「も、もうやめてください。」
「なぜ勝真は良くて私はだめなのだ?」
「そういうわけじゃないです。」
「では問題ないだろう。」
「はい。・・・どうぞ。」
花梨は観念して俯く。
「これがシャンプーの香りというものか。心地よいな。」
そう言って泰継は微笑むと、再びタムのネジを締め始めた。
恥ずかしさから開放された花梨は、ほっと息をついて再びスタンドの高さを調整し始めた。
フロアタムを立てた彰紋が、自然な動作でその後ろを通って自分の場所へ戻った。
それを見たイサトがわざわざ遠回りして花梨の後ろを通ってからギターの置いてある場所に戻る。
泉水が珍しく積極的に、花梨にシンバルの付け方を教える。
頼忠は椅子を自分の座りやすい高さに合わせた後、しばらく立ったり座ったりしていたが、花梨がシンバルを付け終わって入り口近くの椅子に戻っていってしまったので、何事もなかったような顔で組みあがった部品を自分の周りへ配置し始めた。
スネアドラムをスタンドに載せながら全てを見ていた幸鷹は、そんな皆の様子に呆れながら翡翠を見た。
珍しく翡翠が眉間にしわを寄せて自分のカバンから楽器を取り出していた。




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