枯葉
スタジオで花梨たちが和気藹々と頼忠のドラムを組み立てていると、入り口の防音ドアが開く。
幸鷹が振り返ると、和仁が珍しくご機嫌な顔をして入ってきた。
後ろから、金髪碧眼の男性が入ってくる。
「幸鷹、少しいいか?」
和仁が幸鷹を手招きした。
幸鷹は、和仁が笑みを浮かべている事に首を傾げながら近くに寄る。
「はい。何でしょう?通訳ですか?」
「いや、通訳は要らん。今日の練習を、私達に見学させて欲しいのだ。」
「見学ですか・・・私は構いませんが・・・」
幸鷹はそう言いながらドラムセットの周りで花梨を中心に笑いあっているメンバーを振り返る。
「皆さん、今日の練習をこのお二人が見学したいと仰っているのですが。」
全員が幸鷹を見たあとに、彼が掌で指し示す2名を見る。
「別に・・・」
「はい・・・」
言いかけた勝真と彰紋の言葉をさえぎるように、花梨が声を上げた。
「ああっ!この間の!」
「先日はどうも。」
金髪碧眼の男性が流暢な日本語を話すのを聞いて、メンバーのほとんどが目を丸くする。
「いえ・・・」
花梨がその時の事を思い出して頬を染めた。
「何があった?」
泰継がその様子を見て咎めるように言う。
「えっと、ちょっと声をかけられて・・・」
「声?」
花梨の言い方のせいでナンパと誤解したイサトが眉をひそめて金髪の男性を見た。
その視線を憮然と受け止めて、男性が口を開く。
「道を聞こうと思っただけだ。」
「ナンパにしては古い手口だねえ。」
余裕の笑みを浮かべて翡翠が口を挟んだ。
「翡翠か。久しぶりだな。」
「さあ、どこかでお会いしましたっけ。」
翡翠がわざとらしく言って首を傾げる。
男性は気にもせず鼻で笑うと、全員に向かって言った。
「アレクサンドル・ランバードだ。周りの人間はアクラムと呼ぶ。」
「・・・普通、アレックスでは?」
幸鷹が首を傾げる。
「社内にアレックスと日本人が多くてこうなった。」
「苗字と名前を混ぜて短縮する日本人の感覚を取り入れたのですね・・・」
幸鷹が興味深そうに頷いていると、和仁が焦れて口を開いた。
「見ていて良いのだな?良いなら座るぞ。」
「では、今日は『枯葉』からにしましょうか。」
幸鷹が言いながら楽譜をめくる。
他のメンバーもそれぞれ楽譜を開いた。
花梨は楽譜を開いて少し困ったように見つめる。
アクラムがそれに気付いて眉を上げた。
花梨の後姿しか見えないメンバーは、その様子をよそにイントロを演奏し始める。
花梨は気持ちを切り替えて顔を上げると、歌い出した。
「ほう。」
アクラムが短く声を出し、和仁が納得したように頷く。
「・・・なるほど。あいつらが騒ぐわけだな。」
『枯葉』は、昔に終わった恋を偲ぶ歌だ。
花梨は自分の中から精一杯悲しい気持ちを引き出して歌っていた。
しかし、早めのテンポで演奏される伴奏に置いて行かれそうになって慌てる。
そのせいで、わずかにぎこちない歌い方になっていた。
とりあえず一回通して演奏が終わると、幸鷹がいつものように気になるところは無いかメンバーに聞く。
その中で、花梨は一人ため息をついた。
「花梨さん、どうなさったのですか?」
泉水がそれに気付いて心配そうな声を出した。
花梨が少しためらってから口を開く。
「・・・ちょっと自信がなくて・・・」
「え?!」
彰紋が目を丸くした。
いつものびのびと音楽を表現する花梨が、そんな事を言うのは珍しい。
花梨が翡翠の方を向くと再び口を開く。
「翡翠さん、終わった恋を偲ぶ感じ、出せてますか?」
「それは私が判断する事ではないよ。姫君が出せていると思うのなら、出せているのだろう。」
「それが分からなくて・・・この曲、けっこう軽やかじゃないですか?」
「そうだね。」
「それなのに、終わった恋を偲んでるんですよね?」
「そうだねえ。」
翡翠が花梨をからかうように、同じ返事を繰り返す。
花梨がため息をついた。
「感じがつかめません・・・」
「おや、珍しいこともあるものだね。姫君らしく歌ってくれればそれで良いのだよ。」
翡翠が楽しそうに笑う。
「私らしくって言っても・・・」
困ったように呟いた花梨の背中に声がした。
「holdまではしっとりと。その次からテンポよく。Winter's songの部分だけ強調して心を込めるのだ。」
花梨が驚いて振り向くと、アクラムが薄く微笑んでいた。
「す、すいません、もう一度お願いします!」
花梨が慌てて譜面台に置いてあったシャープペンを持つ。
アクラムはおもむろに立ち上がると、花梨の隣に立ち、肩を抱き寄せた。
その場にいる全員がムッとした顔をする。
「え・・・」
頬を染めてアクラムを見上げる花梨に、アクラムは楽譜を指さして口を開いた。
「holdまでは美しい情景描写なのでしっとりと歌う。その次は曲調を大切にしてテンポよく。辛い出来事を思い出しているのだから、できれば早く通り過ぎたいだろう。」
花梨が頷いて楽譜に書き込む。
「そして、一番大事なのは曲も歌詞も盛り上がるWinter's songの部分だ。ここは悲しい気持ちを最大に込める。君は全体に悲しい気持ちを盛り込もうとしたからしっくり来なかったのだ。歌はメリハリが大切だ。」
「なるほど・・・ありがとうございます!アクラムさん!」
花梨が満面の笑みでアクラムを見上げる。
「さんは要らない。せっかく名前を短縮しているのに無駄なだけだ。」
アクラムが甘く微笑むと、花梨は思わずその顔に見とれてしまった。
「姫君によからぬ事を吹き込むのはやめてくれないか。」
笑みを消してそれを見ていた翡翠が、アクラムの背中に声をかける。
アクラムは花梨から身体を離すと、挑戦的な笑みを浮かべて振り向いた。
「彼女が困っていたので助けただけだ。」
そう言って元の場所へ戻ると椅子に座る。
「そうですよ、翡翠さん、よからぬ事なんかじゃなくて、すごくためになるアドバイスでした!」
花梨が興奮気味にアクラムの肩をもつ。
翡翠が困ったように微笑むと、静かに言った。
「ためになるアドバイスだったかどうかは、観客が決める事だよ、姫君。」
花梨がはっとする。
「・・・確かにそうですね。」
楽譜に目を戻して少し考えると再び口を開いた。
「でも・・・アクラムのアドバイス通りに歌ってみたいかな・・・」
「歌ってみたらいかがですか?歌ってみてからそのアドバイスを採用するかどうか決めても遅くはないでしょう。」
幸鷹が微笑む。
「ありがとうございます!幸鷹さん!」
幸鷹は頷くと、頼忠を振り向いた。
頼忠も心得たように頷くとスティックを打ち鳴らしてカウントを出す。
短いイントロのあと、花梨が歌い出した。
たくさんの名演奏で繰り返されてきた、定石どおりの『枯葉』が流れていることに、メンバーは違和感を覚える。
まず、勝真と頼忠はリズムが取りにくいと思った。
イサトと泰継は花梨の声がわざとらしく聴こえて不快になった。
幸鷹と泉水と彰紋のホーンセクションは、もともと『枯葉』の楽譜にはないサブメロディーや花梨の歌に合わせたコーラス部分を担当している。
泉水の楽譜はバランスよく書かれているはずだった。
だが、3人とも自分の演奏が花梨の邪魔になっている感覚がして音を小さくした。
それぞれ感じた違和感は違ったが、演奏しながらたどりついた結論は同じだった。
・・・花梨らしくない。
ボンゴを叩きながら、翡翠は憮然としていた。
翡翠は、花梨が自分自身で歌を解釈した時にこそ、最大の魅力を発揮するという事に気付いていた。
だから、余計なアドバイスはしなかったし、花梨が悩んで生まれるであろう解釈に、とても期待していたのだ。
楽しみを奪った元凶をちらりと盗み見る。
アクラムは薄く笑んだまま花梨を見守っていた。
隣では、花梨の本当の魅力を知らない和仁が満足そうに何度も頷いている。
花梨は歌い終わると、ほっと息を吐いた。
「いい感じです、アクラム。」
アクラムに微笑みかける。
その後ろで、イサトが憮然とした顔をして椅子に座った。
「そうか?俺はワザとらしくて好きじゃねぇ。」
「えっ、そう?」
振り向いた花梨の顔が曇る。
それを見て、うっと怯んだイサトが助けを請うように他のメンバーを見た。
花梨もつられてそちらを見る。
困ったような顔が花梨を見つめたり、気まずい顔が目をそらしたりする。
花梨がメンバーの気持ちを知るには、それで十分だった。
「ワザとらしい・・・かなあ・・・」
花梨は首をかしげると、楽譜を見つめる。
「Mr.アクラム、私達の音楽活動に口出しをするのは見学とは言えませんね。申し訳ありませんがお引取りいただけませんか。」
幸鷹が不快感を露にして静かに言った。
アクラムが鼻で笑って立ち上がる。
和仁が驚いてそれを見上げた。
「どうやら邪魔をしてしまったようだ。和仁、行こう。」
アクラムはそう言うと、さっさとスタジオを出て行ってしまった。
和仁も残念そうに立ち上がると、花梨に歩み寄ってその両肩に手を置く。
「花梨、私はお前のためを思ってアクラムを連れてきたのだ。アクラムは私とお前にとって必ず役に立つ人間だからな。忘れないでおいてくれ。」
花梨はよく意味が分からなかったが、和仁が花梨の事を思って言ってくれているのは感じられたので、素直に頷く。
「うん・・・ありがとう、和仁さん。」
和仁は恥ずかしそうに微笑んで、踵を返すとスタジオから出て行った。
スタジオ内に気まずい空気が流れる。
「・・・この曲については、私、もうちょっと考えてみます。」
花梨が気遣うようにメンバーを見た。
「あの・・・花梨さん、お気になさらず貴女の好きなように歌ってください。私も楽譜をもう一度見直すことにします。」
泉水が穏やかに言った。
「そうだな。花梨があの歌い方で良いなら私達も問題ない。」
泰継が口を挟んだ。
「・・・ありがとうございます。」
花梨が遠慮がちに微笑む。
「では、しばらくこの曲の練習はやめましょうか。花梨さんの考えがまとまったら教えてください。」
幸鷹が花梨を気遣うように言った。
「はい・・・すみません。」
しょんぼりと謝る花梨を見て、イサトが口を尖らせる。
「お前が謝ることないぜ。あのアクラムってやつが引っかき回してったんだからよ。」
「でも・・・もともと歌が解釈できてなかったのは私だし・・・」
花梨が悲しげに言うのを遮って、翡翠が明るい声を出した。
「とにかく、私達は姫君の意思を尊重したい、ということだ。どんな歌い方であろうと、姫君がそれで良いと思ったら、私達も文句は言わないよ。ゆっくり自分で考えなさい。それより・・・」
浮かべていた笑みを消して、翡翠がじっと花梨を見る。
「あのアクラムとかいうのが何か言ってきたら、何でもいい、全て私に報告しなさい。」
なぜ翡翠がそんな風に言うのか分からなかったが、花梨は翡翠の迫力に気圧されて頷く。
「は、はい。」
「なんでだよ?あいつヤバイ奴なのか?」
勝真が翡翠を振り向く。
「そうだね・・・私達から姫君をさらって行ってしまうかも知れない。」
翡翠が冗談とも本気ともつかない声を出し、メンバー全員が真顔になった。
花梨が目を白黒させる。
それを見て、翡翠はおどけた顔になった。
「なーんて、ね。」
言ってから、ちょこんと首を傾げる。
花梨が大きくため息をついた。
「な、なあんだ。冗談かあ。」
びっくりしちゃった、などと言いながら楽譜を折りたたみ始める。
その後ろで、他のメンバー達は、真顔のまま翡翠をじっと見つめていた。