夢のために



花梨は集合の30分前にin the timeの前に居た。
今日は休日だったので、朝から5時までアルバイトをしていた。
いつもだったら店の休憩室で時間を潰したりするのだが、ずっと気になっていたことがあったのだ。
中を覗いて和仁しか居ないのを確かめると、キョロキョロと周りを見回してから入っていく。
「何をしている?挙動不審な入り方をするな。」
読んでいた雑誌を閉じながら、和仁が眉間にしわを寄せた。
「ご、ごめんなさい・・・」
花梨がしゅんとしたのを見て、和仁は自嘲的に微笑む。
「いや・・・謝ることはない。昔を思い出して不快になっただけだ。」
「昔?」
「私が子供の頃は、そういう入り方をする学生が少なくなかった。」
「えっ?どうしてですか?」
花梨がカウンターの椅子に座りながら首を傾げる。
「バンドを組んでいるだけで、周りの大人に不良扱いされることが多かったらしい。」
「あ、なんとなく分かります・・・私も親にバンド入るって言ったら、派手な格好しないでよって言われました。」
「衣装が派手だからと言って、彼らが不真面目に音楽をやっているわけではない。それなのに、ミカド楽器に通う生徒は堂々としていて、うちに来る客はコソコソしていた。彼らは何も悪い事をしていないのに、と子供心に思ったものだ。」
「そんな頃からお店に来ていたんですか?」
「そうだ。その頃はバンドブームで、この店は学生の溜まり場のようになっていた。彼らにはよく遊んでもらった。」
「へえ・・・」
「私は、いつか、あの頃のような活気を取り戻したいと思う。」
「いいですね!時朝さんも喜びますよ!」
花梨が満面の笑みになると、和仁も微笑んだ。
「そうだな・・・」
奥のドアが開いて、時朝が顔を出した。
「あ、時朝さん、こんにちは。」
時朝が目を丸くする。
「花梨さんでしたか・・・お呼びになりましたか?」
「ごめんなさい。噂をしてただけなんです・・・」
「そうでしたか。良い噂だと良いのですが。」
時朝が遠慮がちに冗談を言い、その言葉に、花梨は満面の笑みで頷く。
「すごくいい噂ですよ!和仁さんがお店に活気を取り戻したいって・・・」
「花梨!」
和仁が声を荒げる。
花梨がビクッと肩をすくませた。
「そういうことを軽々しく言うな!」
和仁が赤くなって花梨の頭を殴る真似をする。
その後姿を見て、時朝が嬉しそうに微笑んだ。
「照れる事ないのに・・・」
花梨が和仁の拳をよける真似をしながらクスクスと笑うと、和仁は頬を染めたまま憮然とした顔で時朝の方を向いた。
「・・・戻っていいぞ。」
時朝が微笑んで頷く。
和仁は再び花梨の方を向くと、イライラした声で言った。
「用があって早く来たのだろう?早く言え!」
花梨が少しだけ頬を引き締めて言った。
「そうでした。アクラムのことを聞きたくて・・・」
扉を閉めようとしていた時朝がぴたりと動きを止める。
和仁と花梨はそれに気付かずに話を続けている。
「それでなぜ挙動不審になるのだ?」
「なんとなく・・・翡翠さんとかが怖いから・・・」
「怖い?」
時朝はドアを完全には閉めず、リペアルームで聞き耳を立てた。
「はい・・・アクラムが何か言ってきたらすぐに知らせろって・・・私、アクラムが悪い人には思えないんですけど・・・みんなは、あまり好きじゃないみたいです。」
「・・・そうか・・・」
和仁は考え込むようにカウンターへ視線を落としたが、真剣な瞳で顔を上げる。
「お前は歌で生きていく気があるか?」
突然の大真面目な質問に戸惑いながらも、花梨は頷く。
「そ、それは、もちろん。夢ですから。」
「では、もうひとつ聞く。space‐timeの仲間と、その夢と、どっちが大事だ?」
「・・・・・・夢、です。」
花梨が少し考えてから申し訳なさそうに答える。
「ならば話が早い。奴らはお前を大切に思うあまり、お前の夢を邪魔しようとしている。お前の夢をかなえられるのは、この私と、アクラムだけだ。」
「そ、そんな、皆は私の夢を応援してくれて・・・」
「そうだとしても、奴らは応援するだけしかできない。私とアクラムは、お前をデビューさせる事ができる。」
「で、でびゅー?!」
「歌手になりたいのだろう?」
和仁がニヤリと笑う。
「で、でも、歌手って言っても、私、歌のお姉さんに・・・」
しどろもどろになる花梨に、和仁が呆れたような顔をした。
「歌手にさえなってしまえば、あとはどうにでもなるのではないか?」
花梨が黙って俯く。
確かに、インディーズも少年誌グラビアもオーディション番組も経ずにデビューできるなんて、そんな良い話は聞いた事がない。
いくら歌のお姉さんになることが夢だと言っても、花梨も普通の女の子だ。
歌手デビューできると言われて心が動かないわけがない。
「で、でも、デビューって、どうやって?」
うっ、と和仁が言葉に詰まる。
「・・・実は・・・私もよく分からない。親父が勝手にアクラムを呼んだのだ。彼に気に入られれば誰でもデビューできると言ってな。」
「へえ・・・」
「多分、どこかのレーベルのスカウトマンだと思う。」
花梨もアクラムの的確なアドバイスを思い出して頷く。
「そんな感じですね・・・」
「親父は何か企んでいるようだが、私はお前にとって悪い話ではないと思った。」
和仁はそこで言葉を切って、少し躊躇ったが、意を決したように口を開いた。
「お前の夢は、何としても私が叶えたいのだ・・・どういう意味か分かるな?」
和仁が真摯に告げたその言葉に、花梨は驚いて目を見開く。
和仁が頬を染めて照れ臭そうな笑顔になった。
そのあどけない顔に花梨も頬を染める。
和仁はそれを見て満足そうにすると、夢見るように花梨の後ろの壁に立てかけてあるギターを見つめる。
「お前ならきっと売れると確信している。初登場オリコン一位も夢ではないな・・・そして、歌手としてのピークが過ぎた頃、密かに長年付き合っていた青年実業家と電撃結婚して引退するのだ。」
花梨が目を丸くした。
「青年実業家って誰のことですか?」
うっとりとしていた和仁は、その声で我に返ると、憮然とした顔になって吐き捨てた。
「分かっていないではないか・・・この鈍感!」
時朝がリペアールームで笑いを噛み殺す。
和仁が花梨の意思を尊重してくれているようなので、ひとまず安心だ。
アクラムや篤仁が何を企んでいようと、花梨にとって不本意な事は起きないだろう。
「どういう意味ですか〜?」
花梨が困り果てた声を出し、和仁が上ずった声で叫ぶ。
「私はそんな事を説明するような野暮ではない!」
「説明が野暮?あ、ギャグだったんですか?」
「違う!」
和仁は叫んでから盛大にため息をつくと、身を乗り出して花梨に手招きをした。
「一回しか言わないからな。」
花梨がこくこくと頷いて身を乗り出す。
「もっと近くだ。」
和仁が人の悪い笑みを浮かべて言い、花梨は何も疑わずに近づく。
その時、イサトと勝真が自動ドアから入ってきた。
花梨と和仁が額を寄せ合うのを見て、二人が顔をしかめる。
「お前ら、何やってんだよ?」
イサトが和仁を睨んだ。
和仁は舌打ちをして花梨から離れるとそっぽを向く。
「別に何も。」
「嘘つくな!」
「待てよ、イサト。花梨、何をコソコソ話していたんだ?」
勝真が呆れた顔でイサトの肩をつかむと花梨を見た。
目を丸くして怒るイサトを見ていた花梨だったが、話を振られた途端に視線を逸らす。
「え・・・あの・・・たいしたことじゃないっていうか・・・」
アクラムのことを調べようとしていた事は、あまり知られたくない。
勝真が真顔になった。
「たいしたことじゃないなら言ってみろ。」
「・・・・・・」
花梨が俯いてスカートの裾をいじる。
それを見たイサトが勝真を振り払って和仁に詰め寄ると、カウンター越しに襟首をつかんで持ち上げた。
「てっめぇ!この間のアクラムといい、何を企んでやがる!」
花梨が慌ててイサトに縋る。
「やめて!」
勝真も駆け寄ってイサトを引き剥がそうとしたが、花梨が邪魔で思うように動けない。
「花梨、どいてろ!」
騒ぎを聞きつけた時朝もリペアルームから出てきた。
「和仁様!」
抵抗も反撃もしない代わりに精一杯の威厳を保ってイサトを睨みつけていた和仁を、強引に引っ張ってカウンターから離す。
なおもつかみ掛かろうとするイサトを、勝真が羽交い絞めにした。
「離せっ!勝真!」
イサトがわめく。
そこへ頼忠が急いで入ってきた。
車の中から騒ぎが見えたのだろう。
「助かった!コイツ頼む!」
勝真が情けない声を上げる。
「なんだよ頼忠!やるか?!俺は怒ってんだぜ!」
イサトが近づいてきた頼忠に向かって気勢を上げたが、頼忠は黙って屈むと、イサトを肩に担ぎ上げる。
「くそぉっ!離せ〜!」
ジタバタと暴れるイサトに頼忠は憮然とすると、おもむろに長い髪の毛を引っ張った。
「うわっ!」
イサトが声を上げる。
なおも暴れようとするが、髪の毛を引っ張られて顎が浮くため、力が入らない。
頼忠が店の外に出ると、店に入ろうとしていた彰紋と泉水が驚いて数歩あとずさった。
頼忠はそのままイサトを乱暴に車の後部座席に放り込んで、ドアを閉める。
出てこないように中を覗き込むと、イサトは頭を押さえて後部座席に突っ伏していた。
もしかしたら、悔しくて泣いているのかもしれない。
頼忠がため息をついて振り向くと、彰紋と泉水が戸惑った顔で自分を見つめていた。
店の中では、花梨がカウンターに伏して号泣している。
残った三人は、服をヨレさせたまま、困ったように花梨を見ている。
幸鷹が走って来た。
頼忠がイサトを車に放り込んだところが見えたのだろう。
店の中を見て愕然とした顔になってから、慌てて頼忠を振り向く。
「何があったのですか?!」
頼忠は困った顔で首を傾げた。
自転車のブレーキの音が響く。
「何を突っ立っているのだ?」
泰継がキョトンとして自転車から降りた。

「・・・それで、私達に言えないと思ったのだね。」
翡翠が悲しげな顔で花梨を見る。
「・・・ごめんなさい・・・」
花梨が涙を溢れさせた。
隣に座った泉水がハンカチでそれを拭う。
space‐timeのメンバー達はスタジオに居た。
騒ぎの後、しばらく花梨は泣き伏していたが、泣きやむと、この騒ぎは自分のせいなので、自分で説明すると言ったのだ。
遅れてきた翡翠と、車を駐車場に入れた頼忠がイサトを連れて来ると、花梨はしゃくりあげながら、あらかた話をしたのだった。
「それでイサトが早とちりして和仁にキレたんだよ。」
勝真がため息混じりに言う。
イサトが憮然とした顔でそっぽを向いた。
「いや・・・私も悪かった・・・姫君やイサトに無用な不安を与えてしまったようだ・・・」
翡翠が言うと、彰紋が辛そうに言った。
「でも、アクラムが僕達から花梨さんをさらって行ってしまうかも知れないというのは、本当のことでしたから・・・」
「彼は・・・」
翡翠が何か言いかけたが、花梨が慌てて顔を上げる。
「あ、あの・・・まだデビューするって決まったわけじゃないし・・・アクラムがその気にならなきゃ始まらない事だし・・・」
全員が、多分アクラムはその気だ、と思ったが、それを口に出す者は居なかった。
「どちらにしても、花梨がデビューしたいと言うのなら、私達に止める権利はない。」
泰継が静かに言った。
「・・・あの・・・まだ迷ってて・・・」
花梨が困ったように首を傾げる。
歌手デビューは魅力的だが、生活が180度変わってしまう事ぐらいは花梨にも分かる。
素朴だが楽しい今の生活や、千歳などの親しい友達、そして、せっかく仲良くなったspace‐timeのメンバーとの関係を、簡単に捨てる気にもならない。
その言葉にかすかな希望を感じ、全員が顔を上げる。
「確かに、親御さんがどう仰るかも分かりませんし、すぐに決められる事でもないでしょうね。」
幸鷹が優しく微笑んだ。
「あの・・・花梨さんの未来を私達が決めて差し上げる事はできませんから・・・お辛いでしょうが、ご自身で考え、答えを導き出してください。私達は決して、その答えに異を唱えたりは致しません。」
泉水が、敢えて率直に、しかし優しく包み込むように言い、花梨が頷く。
「ありがとうございます。」
メンバーを見回すと、全員が頷いてくれた。
和仁は、彼らが応援しかできない、と言っていた。
しかし花梨は、その事をメンバーには言わなかった。
メンバー達は、そんな事、百も承知なのだ。
応援しかできない。
でも、少しでいいから、何か力になりたい。
その気持ちのお陰で、花梨はこの2ヶ月の間に、たくさん新しい経験をした。
それが自分の歌にどれほど役に立っているか、和仁に分かってもらいたい、と思う。
・・・やはり歌で分かってもらうしかない。
花梨は、真顔で全員を見渡す。
「私、決めました。クリスマスライブ、今までで最高の歌を歌えるように、頑張ります。」
突然の決意に、メンバーが目を丸くした。
「デビューするかしないかは、アクラムが何か言ってくるまで分からないし・・・今しなきゃいけない事は、皆さんと、最高の音楽を作ること、ですもんね。」
メンバー達は、力強く頷いたり、微笑んで隣の者と目を見合わせたりする。
花梨は、その反応を見て、嬉しそうに微笑んだ。
翡翠は花梨に笑顔を向けながら、一人不安を拭えないでいた。
花梨が自分で歌手デビューをすると決めたら、それを止める気はない。
しかし、デビューしないと決めた時、周りが黙っているだろうか。
歯車は回り始めてしまった。
芸能界においては・・・一人の少女の意思などひとたまりもない。




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