クリスマスライブ
in the time主催のクリスマスライブは、平安市民会館の小ホールで開催される。
日頃in the timeのスタジオを利用しているバンドが何組か出演し、30分交代で演奏していくことになっている。
space‐timeの順番は最後だった。
大所帯で楽器の量が多く、一度セッティングしたら片付けるのが大変だからという事もあるが、space‐time目当ての客が多いというのもある。
花梨は、舞台袖から前の順番のバンドが演奏しているのを覗くと、メンバーのもとに戻ってきた。
「緊張しますぅ〜。」
ソワソワとメンバーの周りを歩き回る。
「私も緊張して・・・」
泉水が青ざめた顔をして、震える手で花梨の手を取った。
「ですよね!」
花梨が女友達のように気安くその手を握り返す。
近くに居た泰継が、おもむろに二人の右手を取った。
「二人とも、落ち着け。」
そう言って、目を丸くする二人の小指と中指の先をつまむように揉み解す。
「緊張やストレスを緩和するツボだ。」
泉水と花梨が、それぞれ微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「ご迷惑をおかけしてすみません。」
泰継は、二人の指先を揉みながら、静かに答えた。
「問題ない。」
「花梨さんは初めての参加ですし、泉水さんも今日は大役がありますからね、緊張するのは当然ですよ。」
幸鷹が管に息を入れて暖めながら微笑んだ。
「そうですね。僕も去年の初ライブはガチガチでした。」
彰紋も花梨に近づいて微笑んだ。
「えっ?彰紋君が?」
「彰紋は吹奏楽やってたからまだ良かったろ。」
イサトが後ろから彰紋の肩に手を置いて続ける。
「俺なんか、いまだにどんな演奏したか思い出せねぇよ。」
彰紋がそれを聞いてクスリと笑った。
「ライブが終わったとたんに真っ青になってましたよね。」
「『俺、ちゃんとやれてたか?!』だもんな。」
勝真がイサトの頭を軽く叩いて言った。
「イテッ!」
イサトが頭を押さえて勝真に向き直る。
花梨は思わず吹き出した。
「そう、姫君は、その笑顔で歌うのが一番いいよ。」
いつの間にか側に来ていた翡翠が花梨の顎を持ち上げ、自分を見つめさせる。
「姫君らしい薄化粧も、とても似合ってる。食べてしまいた・・・」
「翡翠!」
「翡翠さん!」
あちこちから怒声が飛んで、翡翠が面白そうに肩をすくめた。
「いつもの姫君で、ね。」
「はい。」
花梨が頷いて顔を上げると、スティックを持って壁に寄りかかっていた頼忠と目が合った。
頼忠が微笑みを浮かべて小さく頷く。
今の花梨には、頼忠が何を言いたいかだいたい分かる。
彼なりに、花梨を励ましているのだ。
花梨は全員の顔を順番に見てから、微笑んだ。
「頑張ります。」
言いながら、花梨は確信していた。
・・・このメンバーだからこそ、私は本当の私で歌える。
暗くなった舞台に、セッティングのためメンバーが出入りを始めると、客席のあちこちから女性のキャア、という声が小さく上がった。
花梨は舞台袖で大人しく待つ。
力仕事で衣装が着崩れてはいけないから、と、待っているように言われたのだ。
頼忠のドラムが中央の奥に据えられる。
頼忠が身体に合わせて位置を直している間に、翡翠がボンゴを運び込み、その他の小さな打楽器を台に並べる。
幸鷹がサックスを首にかけ、左手に持ったまま、右手だけで泰継のキーボードを操作している。
操作パネルの光が眼鏡に映りこんで、幸鷹の真剣な瞳を彩る。
勝真とイサトがそれぞれの楽器を肩に掛け、アンプにつなげて短く音を出す。
彰紋と泉水は、自分達の音を拾うマイクのスタンドを、ベルの位置に合わせて調節していた。
チューニングは控え室で済んでいる。
全員の準備が整うと、幸鷹が中央のマイクの前に出て、メンバーを振り向き、全員と目を見合わせる。
幸鷹が手をあげると、頼忠のカウントが響き、演奏の開始とともに照明が点いた。
最初は花梨抜きで「メガリス」だ。
客席から地鳴りのようなウオオーという声が聞こえる。
それは、彼らの容姿目当てと思われる女性ファンだけでなく、本当に彼らの音楽を聴きたくて来ている男性ファンが意外に多いことを物語っていた。
花梨は舞台袖でその声を聞いて、顔を綻ばせた。
大好きな人達の音楽が人気を博しているというのは、自分を褒められる以上に嬉しい。
自分も、その評判を下げないように精一杯やらなくては、と決意を新たにする。
そう。
PA席で時朝と一緒に聴いているであろう和仁に、分からせなくてはいけないのだ。
space‐timeあっての花梨であるという事を。
メガリスの演奏が終わり、イサトが近くにあったマイクをオンにして言った。
「みんな!今日は、来てくれてありがとな!お礼にでっけぇクリスマスプレゼントだ!新メンバーを紹介するぜ!ヴォーカルの花梨!」
イサトが舞台袖を指差す。
おおーっ、という声と拍手に押されるように、花梨は舞台袖から走り出た。
幸鷹がアルトサックス用のマイクスタンドを持って後ろに下がり、代わりにヴォーカル用のマイクスタンドを持ってくる。
花梨は幸鷹と笑顔を交わすと、客席に向かって元気よく手を振った。
ブレスレットが揺れる。
「花梨です!よろしくーっ!」
花梨の可愛らしい声がホール内に響き、客席がどよめいた。
ヒューッという口笛の音が聞こえてくる。
間髪入れずに、「虹の彼方に」のイントロが始まった。
少し早めの三拍子に、客席が静まり返る。
花梨が最初のフレーズを歌い出すと、「虹の彼方に」だと分かった観客から感嘆の声と拍手が上がった。
虹に向かって伸びやかに夢と希望を歌うこの曲を、花梨はことさら無邪気に歌った。
夢や希望に含まれる、願い、というしっとりした感情を削ぎ落として。
ただ無邪気に。
それが、ワルツに感じるような3拍子の軽さと相まって、天井の抜けたような明るさになっていた。
客席は呆気に取られたように静まり返っている。
3拍子の「虹の彼方に」にも驚いているのだが、それ以上に、底抜けに明るく歌う花梨に釘付けになっている。
花梨が歌い終わると、曲が終わるのも待たずに拍手が巻き起こった。
次は「枯葉」だ。
先ほどまで底抜けの明るさを演じていた花梨が、打って変わって大人の顔になる。
アクラムに教えられた定石どおりの「枯葉」を、花梨は自分なりにアレンジしていた。
切なく、心を込めて。
まだ恋を知り始めたばかりの花梨に、失恋の悲しみや寂しさを表現などできない。
花梨は、悩んだ挙句に、同じ恋なら、と自分の今の気持ちを盛り込むことにした。
好き、という気持ちを。
メンバーは満足だった。
花梨のこの歌を聞くとき、自分が花梨に切なく思われているかのように錯覚できる。
翡翠がボンゴを叩きながら、気持ち良さそうに笑みを浮かべた。
客席には、花梨の切なさが、一人ひとりの現状に即して伝わっていく。
花梨はそこまで気付いていなかったが、失恋していようと恋の最中だろうと、恋の切なさは同じなのだ。
PA席の奥には、アクラムと篤仁が座っていた。
花梨の「枯葉」を聴いて、アクラムがピクリと頬を震わせる。
そして。
何を思ったのか、ひどく甘い笑みを浮かべた。
「枯葉」が終わると、すぐに次の曲のイントロが始まった。
ボサノバのテクノアレンジで頼忠が刻むリズムパターンに、ベース、ギター、キーボードだけで同じフレーズが繰り返される。
繰り返されるイントロを聴きながら、花梨がマイクスタンドからマイクを引き抜いた。
幸鷹がマイクスタンドを舞台袖に寄せる。
花梨は、着ていたファー付きのジャケットをおもむろに脱いで、幸鷹の背中に投げた。
打ち合わせになかった動作だ。
オフショルダーのカットソーから、キャミソールとブラジャーの肩紐が覗く。
勝真と翡翠がニヤリとして、彰紋と泰継が眩しそうにそれを見る。
あとの3人は視線を逸らして赤くなった。
幸鷹は、何かが背中に当たった感触に驚いて振り向き、ジャケットを拾い上げて微かに頬を染める。
それを見た花梨が悪戯っぽい笑顔で客席に向かって舌を出すと、主に男性客がどっと沸いた。
いかにも真面目そうな幸鷹をからかう花梨に、好意的な視線が集まる。
花梨はマイクを持ったまま、頭の上で大きく両手を叩く動作をし、手拍子を促した。
客席から、一定のリズムで手拍手が響き始める。
花梨のジャケットを舞台袖に置いて戻ってきた幸鷹が、サックスを構えた。
花梨が頼忠を振り返ると、頼忠が合図のフィルインを叩き、仕切りなおすようにメンバー全員がイントロを演奏し始めた。
薄かった音の重なりが厚くなる。
花梨が可愛らしくリズムに乗って身体を動かし始めた。
ジャズダンスをベースにしたステップで悪戯っぽい笑みを浮かべたまま歌い出す。
その歌が「Fly me to the moon」である事を知った客席が、おおーっ、と声を上げた。
マイクを持たない方の手で、花梨が様々な仕草をする。
命令をするように。
夢見る乙女のように。
強請るように。
そして、最後の「I love you」は色っぽく囁くように。
くるくると様々な感情を表す小悪魔花梨が、客席を翻弄する。
後ろで演奏するメンバー達も、花梨に釘付けだ。
「Fly me to the moon」は歌詞が短いので2回歌われる事が多い。
花梨は再び歌い出しながら勝真の方へつかつかと歩いていった。
ベースを演奏しながら目を丸くする勝真の鼻先に指を突きつけて命令するような仕草をする。
勝真がニヤリとして花梨に思わせぶりな視線を送ったが、花梨はそ知らぬ顔で奥へ歩いていく。
拍子抜けした顔で見送る勝真を無視して、花梨は演奏をする彰紋と泉水にそれぞれしなだれかかった。
二人が演奏しながら頬を染める。
隣で演奏する幸鷹が期待に瞳を輝かせて花梨を見たが、花梨はぷいっとそっぽを向いてイサトの方へ行ってしまった。
肩を落として演奏を続ける幸鷹に客席が小さく沸く。
イサトは花梨が近づいてくると、げっ、という顔をして背を向けた。
花梨が後ろから覗き込む。
イサトは赤くなってギターに集中している振りをする。
花梨は客席の方を見て肩をすくめると、再び中央に戻り客席に向かって歌い出した。
ぐいぐいと人を惹きつける花梨の歌声と表現力は、あっという間に小ホール全体を一つにしてしまう。
花梨も歌いながら、それを感じていた。
快感に似た緊張が背筋を走り鳥肌が立つ。
いま、一つになっている。
メンバーと。
客席と。
音楽を通して一つになっている。
「ええっ?!」
花梨は舞台袖で小さく声を上げた。
助けを求めるように舞台袖からそっと顔を出す。
舞台では、メンバー達が「ナチュラル」というアルバムから新しく選曲した「DAISY FIELD」を演奏していた。
泉水が中央に立ってフルートで主旋律を担当している。
泰継が信じられない速さでハープを表現している。
にこにこしながら横目で花梨を見る翡翠以外に、誰も困っている花梨には気付かない。
今日になって、翡翠は東急ハンズの袋を持ってきた。
「サンタさんの衣装を買ってきたから、クリスマスソングの時にこれを着なさい。『DAISY FIELD』で舞台を下がっている間に着替えられるだろう?」
花梨は喜んでそれを受け取ったのだが。
もう一度サンタの衣装を広げる。
赤いスリップドレスだ。
胸元と裾に白いファーがついているので、確かにサンタさんの衣装に見えなくもない。
箱にも「クリスマスパーティーウエア」と書いてある。
イサトがギターソロを弾き始めた。
曲が半分ほど過ぎたのだ。
花梨は意を決して物陰で服を着替えはじめる。
着てみると、サイズはピッタリすぎるほどだった。
翡翠に服のサイズを教えた覚えはない。
流石と言うべきか、怒るべきか。
花梨は複雑な表情で、自分の格好を見下ろした。
泰継がピアノソロを弾き始めた。
もうすぐ曲が終わる。
鏡がないからよく分からないが、身体のラインがまる分かりのような気がしないでもない。
ミニ丈の裾であるにも関わらず、深くスリットが入っている。
花梨は恥ずかしさに挫けかけたが、ぶんぶんと首を振った。
・・・もう、なりきるしかない。
わたしはサンタさん、と3回呟いて、花梨は物陰から出た。
付属の帽子を被ってマイクと月型のモンキータンバリンを持つ。
曲が終わり、「All I Want For Christmas Is You」の前奏が始まった。
クリスマスには定番になった明るいラブソングだ。
花梨が元気に舞台袖から出てくると、翡翠以外のメンバー全員がギョッとした。
一瞬グシャリと演奏が崩れて、なんとか持ち直す。
それから、全員がチラリと後ろの翡翠を振り向いた。
翡翠は、抗議の視線を受け止めながら、今にもお腹を抱えて笑い出しそうな顔をしていた。
客席は大盛り上がりだ。
男性客ばかりでなく、女性客もカワイイ、などと黄色い声を上げている。
花梨が可愛らしく歌い出した。
スリットから露になった太腿にモンキータンバリンを当てながら、小さくステップを踏む。
花梨が動く度に、ピッタリとしたスリップドレスに花梨の身体のラインが浮き上がって、メンバーは気が気ではない。
客席から自然に手拍子が沸き起こった。
花梨は着ている衣装の事など忘れて、歌に集中し始めていた。
『I don't want a lot for Christmas(クリスマスにはそんなにたくさんいらないの)』
『All I want for Christmas Is you(クリスマスに欲しいのは、あなただけ)』
花梨の思いが歌に重なる。
あの人と一緒に居られればそれでいい。
こんなに好きだから。
後ろでイサトと勝真、彰紋と泉水がマイクに向かってコーラスを始める。
今まで彼らが歌った事などなかったのだろう、客席がどよめいた。
どうせなら皆で歌いたい、と言った花梨に賛同した有志コーラス隊だ。
花梨が歌いながらメンバーを振り返った。
全員が照れ臭そうに笑顔を返す。
『All I want for Christmas Is you(クリスマスに欲しいのは、あなただけ)』
むしろ、切実にそう思っているのは、メンバーの方かも知れない。
花梨が嬉しそうに客席に向き直って、明るく歌う。
思いを込めて。
感謝を込めて。
今日も歌を歌えるということ。
歌を聴いてもらえるということ。
素晴らしい仲間に出会えたこと。
大好きな彼と出会えたこと。
少しだけ成長できたこと。
目の前の聴衆が喜んでくれているということ。
歌が好きでいられること。
彼が自分を思ってくれていること。
そして・・・何よりも彼を好きでいられること。
全てに感謝を込めて。
『All I want for Christmas is you!』
歌い終わると、花梨は深々と客席に向かって頭を下げた。
客席から割れんばかりの拍手が起こる。
花梨は頭を上げながら、そっとブレスレットにキスをした。
一旦舞台袖に引き上げると、イサトが花梨に走り寄った。
「すげぇ良かったぜ!花梨!」
他のメンバーも花梨の周りに集まり、口々に花梨を褒める。
「今までで最高だったんじゃないか?」
「ええ・・・とても素晴らしかったです。」
「僕もそう思いますよ。」
「良いライブになりましたね。」
「ここまでよく頑張られたと思います。」
「問題ない。」
「その衣装も、よく似合っているよ。」
からかいを含んだ翡翠の言葉に、全員がはっとして花梨の衣装に視線を移す。
衣装がピッタリすぎるのか、間近で見ると下着の線が浮き出て見える。
イサトと頼忠が、かあっと赤くなった。
「こんな衣装、よく探して来たな。ここはどうなってるんだ?」
勝真がニヤリとしてスリットのあたりをめくった。
「ヒャアッ!勝真さんのエッチ!」
花梨が飛び退く。
「勝真!」
頼忠の迫力ある怒声が飛んで、勝真がうっと怯んだ。
「あのっ、着替えてきま・・・」
花梨がそう言って物陰へ行こうとすると、大きな防音ドアを押して、篤仁とアクラムが入ってきた。
二人は微笑みながら花梨へ近づき拍手をおくる。
メンバーが一様に険しい顔になった。
篤仁が営業スマイルを浮かべて口を開いた。
「花梨さん、素晴らしいライブでしたよ。」
「あ、ありがとうございます。」
花梨がそそくさと頭を下げる。
篤仁は、その様子を見て笑みを深くすると、隣でやはり笑みを浮かべているアクラムを掌で示す。
「和仁を通じてもうご存知とは思いますが・・・こちらはオニーレコードに所属するプロデューサーのアクラムです。」
「プロデューサー?」
花梨が目を丸くしてアクラムを見ると、アクラムが名刺を出して花梨に渡した。
見ると、確かに『オニーレコード制作部 プロデューサー』という文字がある。
花梨の後ろからイサトと勝真がそれを覗き込む。
「プロデューサーって・・・ツンクみたいなヤツか?」
花梨の後ろでイサトがボソボソと勝真に問い、勝真も曖昧に頷く。
「よくは分からないが・・・」
勝真が言いながら不安気に泉水を振り向くと、泉水も申し訳なさそうに首を振る。
翡翠を見ると、床を見つめて何かを考え込んでいるようだった。
名刺をじっと見る花梨に、アクラムが優しい声を出した。
「花梨、君をプロデュースしたい。」
花梨がビクリと身体を震わせてから、ゆっくりと顔を上げた。
「あの・・・私・・・」
「心配は要らない。学業を優先させたいと言うのならそれも良い。花梨の好きな時間に数時間スタジオで歌えば、あとはデビューまで私に全て任せれば良いのだ。簡単なことだろう?」
「え?!それだけでいいんですか?」
花梨が目を丸くし、それを見たアクラムが甘く微笑んだ。
「デビュー後は、どうするつもりなのかな?」
花梨の後ろから、翡翠の声が低く飛んだ。
アクラムが挑戦的な笑みを浮かべて翡翠を見据える。
「その時になったら考えるまでだ。」
花梨が不安そうに翡翠を振り向く。
「姫君がデビューしたら、誰も放って置くはずがない。そうなったら、数時間スタジオで歌うだけの活動を続けるわけにはいかなくなる。」
「ずいぶん花梨を買っているようだが、インディーズを含めた多数の新人の中で、花梨が売れる保障がどこにある?」
「そちらさんは、売れる保障がなければ動かないだろう?」
アクラムは一瞬黙ったが、挑戦的な笑みを崩さずに続ける。
「確かにそうだが、私も完璧な人間ではない。これは賭けだ。」
篤仁が営業スマイルのまま翡翠に向かって言った。
「せっかくの花梨さんのチャンスですから、それを潰すのはどうかと・・・」
翡翠が鋭い視線を篤仁に向けてから、感情を押し殺して花梨を見る。
「そうだね。姫君の気持ちも聞かないまま、余計な口出しをしてしまったようだ。」
全員の視線が花梨に集まった。
花梨がアクラムを上目遣いで見ながらぽそぽそと喋り出す。
「今日のライブは・・・space‐timeの皆が居たから歌えたんです。だから・・・皆が居ないところでは・・・独りでは・・・まだ・・・歌えないと思います。」
「それはやってみなければ分からないはずだ。」
アクラムが畳み掛けるように言う。
「でも・・・」
花梨が俯いた。
「もうやめろよ!花梨が困ってるだろ?!」
イサトが耐え切れずにアクラムを怒鳴りつけた。
「イサト・・・」
彰紋が苦しげにそれをたしなめる。
彰紋も、イサトと同じ気持ちなのだ。
イサトが彰紋の声からそれを感じ取って黙った。
それをいいことに、アクラムは笑みを浮かべたまま花梨に向かって言った。
「いずれ、正式にご両親にもお話に伺おう。その時までに考えておけばよい。しかし、歌手の賞味期限は短いのでな。年明け早々に伺うと思っていて欲しい。」
言いたいことだけ言うと、アクラムは花梨の返事も待たずに背を向けた。
篤仁も、それに従う。
二人が舞台袖から出て行くと、メンバーがバラバラと花梨を取り囲んだ。
「花梨、お前の心は決まっているな。」
泰継が静かに言った。
「はい。今日のライブで、改めて思いました。もっと、space‐timeで歌を歌いたいんです。」
「あの・・・例えそれが、チャンスを逃すことになったとしても・・・ですか?」
泉水が泣きそうな顔で花梨を見た。
「はい。」
花梨がしっかりと頷き、ほっとした雰囲気がその場を包む。
翡翠が微笑んで言った。
「そうと分かれば、私は全力でアクラムの企みを阻止しよう。」
「企み・・・あの方は、花梨さんを騙すつもりなのでしょうか。」
彰紋が心配そうに翡翠を見る。
「ん?・・・そうだねえ。それはまだ分からないが・・・芸能界というのは、怖いところだからねえ。」
「根拠もなく見てきたように言わないでください。」
幸鷹が呆れたような眼差しを向けた。
翡翠が笑みを浮かべる。
「どうかな・・・見て来たのかも知れないよ?」
「はあ?」
勝真が眉を顰めると、翡翠はパン、と手を叩いて背を向けた。
「さ、楽器を片付けないとね・・・ホールの返却時間に間に合わせないと、怖い和仁が怒るよ。」