発表会
まだよちよち歩きの子供たちが、着飾った父母と一緒に舞台に上がる。
舞台に貼られたビニールテープに従って整列すると、スピーカーから流れてくる音楽に合わせて手を叩いたりしながらマイクに向かって歌い始めた。
スポットライトやバックライトが柔らかく子供たちを彩り、舞台下にカメラやビデオを持った父母や祖父母が群がる。
花梨は、その様子を見ながら客席の階段を降りていた。
手には花束の入った紙袋を持っている。
前の方の席は、我が子の可愛い姿を少しでも近くで見ようとする父母でいっぱいだ。
なるべく前の空いている席を探していると、客席中央に設置されたPA席に、見たことのある後姿を見つけたので近づいた。
子供たちの演奏が終わり、客席がザワザワと騒がしくなる。
「あ、やっぱり時朝さんだ!こんにちは!」
花梨がPA席へ声をかけると、腕組みをして舞台を見つめていた時朝が、振り返って目を見開いた。
「花梨さん・・・確か、貴女のお名前はなかったはずですが・・・」
手元のプログラムを取り出す。
「はい。声楽の個人レッスンは発表会がないんです。今日は泰継さんを見に来ました。」
「そうでしたか。」
「時朝さんがミカド楽器の発表会をお手伝いしてたなんて知りませんでした。」
「はい。こちらの社長さんが私の腕を買ってくださっているのです。」
「へえ・・・彰紋君のお父さんが・・・」
花梨の声をかき消すように、次の曲目を紹介するアナウンスが流れる。
時朝が慌てて舞台を見やると、ミキサーを操作した。
花梨は時朝の仕事を邪魔しないよう、黙ってそこを離れた。
近くの席に腰を下ろす。
舞台を見ると、先ほどの子供よりも少し大きい子供たちが、振り付きの歌を歌い始めた。
花梨は先日、南天音大の音楽教育科の発表を見て、初めてリトミックという言葉を知った。
子供たちと一緒に、体を動かしながら表情豊かに歌を歌う学生の様子は、花梨が目指している"歌のお姉さん"そのものだった。
やはり、音楽教育の方向に進みたい。
レッスンの際に講師にそんな話をしたら、発表会を見に行くよう勧められたのだ。
子供たちが音楽に触れている様子を手軽に見ることができる格好の機会だった。
『泰継君も出るわよ。』
講師が花梨をからかうように言った言葉を思い出して頬を染める。
『何だったの?あれ。新手のプロポーズ?』
あの一件で、講師と受付のお姉さんは、すっかり花梨と泰継の仲を誤解してしまった。
いや、爺の言葉を鵜呑みにしているとは言え、泰継も、花梨を嫁に、と言ってはばからないのだから、誤解ではないのかもしれない。
花梨の方も、そう言われるのはまんざらでもない。
今日わざわざお洒落して見に来たのは、子供たちを見るためと言うより、泰継を見るためだ。
舞台から子供たちが降りて行き、講師達がバタバタとマイクの位置を変えたり楽器の置いてある長机を運んできたりする。
その中に自分を担当している講師を見つけて、花梨はクスリと笑った。
「先生までかり出されちゃってるんだ・・・」
アナウンスが流れる。
『幼児科1年。だいすきなパン。』
子供たちがタンバリンやトライアングルを叩きながら、歌い出した。
先ほどの子供達よりまた少し大きいようだが、幼児科というのは何歳ぐらいなのだろうか。
確か花梨は小学校1年生でジュニア科に入った。
弱めに点けられている客席照明の下で、プログラム冊子を開ける。
プログラムを見ると、ジュニア科1年の前に並んでいるのは幼児科2年のクラスだった。
幼稚園の年中さんぐらいかな、と思いながら何気なくプログラムを追っていた花梨は、羅列されている子供の名前の中に、知っている名前を見つけて目を見開く。
慌てて立ち上がると、再びホールの外へ出て行った。
『ジュニア上級科2年。世界にひとつだけの花。』
アナウンスを聞いた花梨は、大きなビニール袋を持って、前の方の席に座る。
舞台袖から楽譜を持った小学生が整列して入ってくると、子供用エレクトーンの前に立つ。
一番後ろから入ってきた紫が端に設置してある最新型エレクトーンの椅子によじ登ると、和音を弾いた。
それに合わせて子供たちがぺこりとおじぎをして、それぞれのエレクトーンに座る。
その中には御苑も居る。
紫と深苑は、花梨がイサトと一緒にボランティア活動をしている学童クラブに来る子供だ。
プログラムに二人の名前を見つけた花梨は、急いで花束を買ってきたのだった。
座る紫の隣に立った講師が、全員の様子を見てから最新型エレクトーンを操作して舞台袖に引っ込む。
無機質なカウント音のあと、全員がいっせいに少し前のヒット曲を奏で出した。
紫が一生懸命に主旋律を奏でる。
オーケストラの中のピアノのように、端に一台だけ置いてある最新型エレクトーンは、ドラムスなどの音色で組み上げたリズムプログラムを入力してあるため、他の子供用エレクトーンよりも音量を大きく設定されている。
講師達は何も言わないが、そのエレクトーンに座るのが、どうしても技術に信頼のおける生徒になるのは、花梨も分かっていた。
この紫の晴れ姿を家族が見に来ていない事に、花梨は少し悲しくなる。
いつも車で送り迎えをしている初老の男性が、紫の真下で一眼レフを構えていた。
深苑は離れたエレクトーンで仏頂面をしてベースの部分を担当している。
双子とは言え二卵性のためか、音楽の才は紫のみに宿っているらしい。
演奏を終えた子供たちが椅子から降りる。
再び紫の合図でおじぎをすると、深苑がさっさと反対側の舞台袖に引っ込もうとした。
花梨は慌てて舞台袖に駆け寄る。
「深苑君!」
驚いて振り向いた深苑が不審そうな顔をした。
「なぜお前がここにいる?」
「友達を見に来たの!はい、これ。」
言いながら花梨が袋から花束を出して差し出すと、深苑は目を丸くした。
友達に花束をもらっている何人かを置いて、他の子供たちは、どんどん袖に引っ込んでいく。
最後に歩いてきた紫が花梨に気付いて駆け寄った。
「花梨お姉さま!」
「あ、紫ちゃんも、はい、主役お疲れ様!」
紫は花束にまあ、と声を上げると、嬉しそうに受け取って頬を染めた。
それを見た深苑も慌てて花束を受け取る。
「深苑君もお疲れ様。」
「有り難く受け取ろう。」
深苑が控えめに微笑んだ。
「花梨様、恐れ入ります。」
後ろから声がして花梨が振り向くと、カメラを持った初老の男性がぺこりと頭を下げた。
「そんな、気にしないでください。」
花梨がそう言っているうちに、深苑が慌てて紫の手を引いて、舞台袖に引っ込んでいった。
待っていたようにアナウンスが入る。
花梨は進行の邪魔になっていた事に気付いて頬を染めると、男性と一緒にその場を離れた。
客席の階段を上がっていると、泰継が後ろの方の席を立ってこちらへ歩いて来るのが見えた。
ベージュのカジュアルスーツに身を包んだ泰継は、ファッション雑誌のモデルのようだ。
婆が買ってくるのか、中高年が着るような服装ばかりの泰継しか見たことがない花梨にとって、遠目に見てもその姿は衝撃的で、頬を染めて立ち止まってしまう。
男性が会釈をして花梨から離れ、もと居た席に戻っていく。
泰継は嬉しそうな顔で急いで歩いて来ると、深苑とは全く違う抑揚で、同じ言葉を言った。
「花梨、なぜお前がここに居る?」