本当の先生
「頼忠さん、もし良かったら、今日も花梨さんを送ってさしあげていただけませんか?」
機材を積み終えてトランクを閉める頼忠に、幸鷹が声をかけた。
「そうしようと思っていました。」
頼忠が真剣な顔で頷いて、イサトや彰紋と何やら笑い合っている花梨に近づく。
花梨が気付いて頼忠の方を向いた。
「あ、頼忠さん、CDをお返しします。どうもありがとうございました。」
カバンからCDを取り出す。
頼忠は、それを受け取りながら口を開いた。
「いえ。それより花梨さん、よろしければ車でお送りします。」
「えっ?でも、まだバスがありますから。」
「先日見た様子ですと、平安神社のバス停から暗い道をしばらく歩くようですね。」
「あ、はい・・・」
「そうなのかよ?あぶねーじゃん。」
イサトが驚いて、俯いた花梨を覗き込む。
「送ってもらった方がいいですよ、花梨さん。」
彰紋も、いつもの笑顔を消して頷いた。
花梨が助手席に乗り込むのを待って、頼忠がドアを閉める。
自分で閉めるのに、と思いながらも花梨はパワーウインドウのスイッチを操作して窓を開けた。
「お疲れ様でした!」
花梨が手を振ると、メンバーも手を振る。
「じゃあな!」
「お疲れ!」
「お気をつけて!」
頼忠が車をスタートさせ、全員の姿が見えなくなると、花梨はシートベルトをつけた。
「お言葉に甘えちゃってすみません。」
花梨が顔を上げると、頼忠が心得たように頷いて、ダッシュボードの上に視線を送る。
CDが一枚置いてあった。
「次は、そこにあるCDをお貸しします。」
最初から花梨を送るつもりでそこに用意してあったのだ。
「すみません。何から何までありがとうございます。」
「いえ。これからは毎回お送りしますので、CDもその時お渡しすることにします。」
「ええっ?そんな、申し訳ないですよ。」
「いいえ。大事な花梨さんを危ない目にあわせられませんから。」
大事な、という言葉にドキリとして、花梨は黙ってしまった。
すぐに、ボーカルとしてなのだと思い直す。
黙ってしまった花梨の様子に、納得してくれたのだろうと思い、頼忠はそれ以上何も言わなかった。
話を変えようかと話題を探したが、思いつくものが花梨にとって面白いものかどうか判断できず、黙って考え込むしかない。
「・・・・・」
「・・・・・」
長い沈黙に耐えかねて、花梨は頼忠を見上げた。
速度計の微かな明かりに映し出された精悍な横顔が真っ直ぐ前を見詰める様子には、ドラムを叩く姿とはまた別の凛々しさがある。
花梨は思わず見とれてしまった。
前方の信号が赤に変わり車が停まる。
頼忠が、2、3度ぎこちなく視線を彷徨わせると、困った顔になって言った。
「すみません。あまり見られると、運転に集中できなくなってしまいます。」
「ご、ごめんなさい!」
花梨が俯く。
「いえ、いい年をして女性に見られたぐらいで動転する私も悪いのです。何か気の利いたことをお話できれば良いのですが、今どきの女子高生がどんなお話を好むのかも知りませんし・・・」
「そんな、気を遣わないでください。私は、頼忠さんとお話できれば、どんな話でも楽しいですよ。」
「そうですか・・・ありがとうございます。」
頼忠はそう言いながら、自然と笑顔になる自分に驚いていた。
花梨の言葉が不器用な自分を救ってくれると思うと、この可愛らしい少女が、母のような存在に思えてくる。
信号が青に変わり、頼忠は車のアクセルを踏んだ。
うしろでガチャリと金属音がする。
「あの、うしろのドラムは、全部頼忠さんのなんですか?」
「はい。」
「へぇ・・・いくらぐらいなんですか?」
「そうですね、サスペンダシンバルも全部合わせると、100万強ですね。」
「ええっ?!ひゃくまんえん?」
花梨は、大声を上げて、もたれていた座席から起き上がった。
その様子を、頼忠はとても可愛らしく感じる。
可愛らしかったり母のようであったり不思議な子だ、と思いながら、頼忠は甘く微笑んだ。
「驚くほどのことではありません。初任給でローンを組んで買ったのですよ。」
「やっぱり頼忠さんて、社会人なんですね。」
「はい・・・?」
「すみません。私、ぱっと見ただけじゃ年齢とか分からなくて。おいくつなんですか?」
「もうすぐ26になります。」
「ええっ!10歳も年上なの?!そんな風に見えないです!」
「そうですか?」
頼忠は何と答えていいのか分からず困ってしまった。
花梨は、そんな頼忠に気付いて話題を変える事にした。
「ローンって大変ですよね?」
「いいえ、一人で暮らしていれば、そのくらいすぐに返せます。」
「一人暮らし?ご家族はどうしてるんですか?」
頼忠の言葉一つひとつが、学生の花梨には想像つかないことばかりで、思わず質問攻めにしてしまう。
頼忠は特に気にせず、淡々と答えていた。
「実家に住んでいます。私は大学へ入るときに一人で上京しましたので。」
「実家はどこなんですか?」
「大阪です。」
「えっ?でも・・・頼忠さん、関西弁じゃないですよね?」
「そうですね。」
ふ、と自嘲的な笑みを浮かべて頼忠は続けた。
「大学時代に教員になろうと考えていましたので、直しました。」
「関西弁の先生とか、たくさん居るのに・・・」
「確かにそうですが、あの頃は、他にも居るという理由だけで努力を怠ることが許せなかったのです。父がこの辺の出身なので、抵抗がなかったというのもあるかも知れません。」
「へえ〜。」
感嘆の声をあげながら、花梨はもっと頼忠のことを知りたいと思う。
家族のこと、仕事のこと、過去のこと。
「今は、どこの学校に勤めているんですか?」
「いえ、結局、教員採用試験は受けずに、就職しました。」
「え?どうして先生になるのをやめちゃったんですか?」
「お世話になっていた剣道の師範が、ぜひにと良い就職口を斡旋してくださったので。」
「えっそれだけ?」
「いいツッコミですね。」
花梨が自分のことに興味を持ってくれているという実感から、頼忠はうれしくなって笑みを零し、冗談めかして言った。
「だって、だって・・・」
悲しそうになる花梨の声に、頼忠は笑いを収める。
「あなたのようにひたむきな方には、信じられないことかもしれませんね。」
「ごめんなさい。責めるつもりじゃないんです。私も、歌のお姉さんになるために、関西弁を直すまではいかないけど、精一杯努力してます。それが全部無駄になると思ったら、悔しくて・・・」
「私が言うのはまだ早いかもしれませんが、人生無駄なことはひとつもありません。大学時代に学んだことは、今の仕事でも十分役に立っていますから。」
「・・・・・・」
重みのある頼忠の言葉に、花梨は胸をつかれて黙り込んだ。
そんな花梨を元気付けようとして、頼忠は努めて明るく言った。
「今思えば、私は教師には向いていなかったかもしれません。」
「そんなことないです!」
「え・・・」
頼忠は、激しく否定する花梨の声に絶句した。
「頼忠さんの考え方って、すっごく勉強になります!」
力いっぱい頼忠に語りかける花梨の様子は、頼忠の心にも甘い波紋を広げていく。
「教科書とかでやる勉強じゃなくて、そういうことを教えてくれるのが、本当の先生だと、私、思います。」
「・・・・・・」
今度は頼忠が黙り込む。
一息ついた花梨は、ふと顔を上げると真面目な口調で言った。
「それに、頼忠さんが先生だったら、絶対モテモテです!」
「は・・・モテ?」
拍子抜けした頼忠が聞き返す。
「はい!きっと毎日ラブレターもらっちゃいますよ。私もあげちゃうかも。」
花梨の最後の言葉に、頼忠はドキリと反応してしまった。
例え話だと自分に言い聞かせるうちにも、頬が染まっていく。
「あ、ありがとうございます・・・」
様子がおかしくなってしまった頼忠に、花梨は、へんな事を言ったかなと考え直して、自分が告白まがいのことを言ってしまったのに気付き赤くなった。
「ど、どういたしまして・・・」
それから、花梨の家につくまでの短い間、二人の間には気まずいながらも温度の高い沈黙が流れ続けたのだった。