ハプニング



当たり前のように頼忠に促され、花梨は車の助手席に座った。
頼忠がドアを閉める。
メンバーに手を振りながら、花梨は逃げ出したいような気持ちで居た。
前回の出来事があってから、花梨は頼忠のことばかりが気になって、夜もあまり眠れなかった。
頼忠の過去のこと、仕事のこと、家族のこと。
知りたいことばかりで、そんなことを考えているうちに目が冴えてしまうのだ。
今日の練習も座って見ているだけだったのだが、思わず頼忠を目で追いかけてしまい、何度か目が合ってしまった。
しかし、10歳も年上の頼忠にとって、自分が恋愛対象として映っているはずもなく、切ない気持ちばかりが膨らんでしまうのだ。
「寒くないですか?」
窓を開けたままいつまでも外を見ている花梨を、頼忠が気遣う。
「あ、はい、ちょっと寒いですね。」
そそくさとパワーウインドウを閉めて、シートベルトをつけた。
何か話をしなくては、と焦った花梨は頭の中をフル回転で探す。
「そういえば、この車もローンなんですか?」
言いながら、これではまた質問攻めのパターンだ、と思ったが、他に考えつく事もない。
「はい。ドラムセットを買った時に、運ぶ必要がありましたので、一緒に買いました。」
「そのローンも、もう終わっちゃったんですか?」
「昨年の夏のボーナスで完済しました。」
「たくさんお給料もらってるんですね。」
「大手の企業を紹介していただいたおかげで、同じ年の友人よりは多少多めにもらっています。」
「そうですよね。だって、この車大きくて高そうです。本当は何人乗れるんですか?」
「7人乗りです。」
「それなのに、この車って、いつもドラムセットを入れっぱなしなんですよね?」
「はい。ドラムセットを運ぶために買いましたから。」
「彼女とドライブとかするのに不便じゃないですか?」
考えていることがそのまま口に出る。
花梨はしまった、とぎゅっと目を瞑った。
「こ、恋人は居ません。」
そんな花梨に気付かず、頼忠の声が急にうろたえる。
「ええっ?そんな風には見えないですよ?カッコイイし、優しいし、年下の私なんかにも丁寧に接してくれるし。」
花梨はもうヤケだ、とばかりに思っていることをそのまま口に出した。
「い、いえ・・・」
頼忠は上ずった声でそれだけ言うと、黙り込んでしまった。
花梨に褒めてもらったことは嬉しいのだが、10も年下の彼女がそんな風に男性として自分を見てくれていたのだと思うと、恥ずかしさや戸惑いの方が大きい。
花梨は黙ってしまった頼忠を見上げていた。
話の流れから考えると、どうやら照れてしまったようだ。
長い沈黙に、花梨はじれったくなって声をかける。
「頼忠さん。」
「・・・はい。」
頼忠が辛うじて返事を返す。
花梨は自分まで恥ずかしくなってきてしまったので、雰囲気を変えようと冗談ぽく言ってみた。
「もしかして、照れてますか?」
「!」
頼忠はビクッと肩を震わせた。
そうだ、と言うべきか、違う、と言うべきか、言葉を探して頭の中が空回りする。
花梨は再び黙り込んでしまった頼忠に驚いてしまった。
暗いのでよく見えないが、たぶん顔は真っ赤だろう。
それにしても、これでは取り付く島がない。
花梨は頼忠に恋人が居ない訳が分かった気がした。
花梨の年齢ならまだしも、頼忠の年頃でそんな初心な反応をしていたら、結婚適齢期を迎えた同年代の女性達は引いてしまうかもしれない。
仕方がないので、花梨は頼忠を放っておく事にした。

カーステレオから流れてくる音楽が一曲分終わって、やっと落ち着いた頼忠がちらりと花梨に目をやると、花梨の身体が助手席のシートに沈むようにもたれかかっていた。
頼忠は、ついに呆れられてしまったかと思う。
「申し訳ありません。女性に褒めていただいた経験が少ないもので。」
謝るが、返事はない。
前方の信号が赤になり、車を停めた頼忠が恐る恐る花梨を振り返った。
当の花梨は、無邪気な顔で眠りこけていた。
子供のように表情をくるくると表す瞳が閉じられると、年相応の色気が醸し出される。
軽く開かれた唇からは、甘く寝息が零れていた。
頭を左肩に預けているため、右の首筋から顎にかけての線が色っぽく強調される。
頼忠はゾクリと背筋を這い上がる痺れを感じて、それを見つめたまま動けなくなってしまった。
後ろの車のクラクションに、はっと我に帰ると、慌てて車をスタートさせる。
花梨を起こさないようにカーステレオの音量を下げた。
しかし、そのせいで花梨の寝息ばかりがはっきりと聞こえるようになってしまい、落ち着くことができない。
こんな年下の娘に何という浅ましい思いを抱いているのだ、と師範に竹刀で打たれた時の痛みをわざと蘇らせる。
必死にそんなことばかり考えていた頼忠が、ふと気付くと、平安神社を過ぎてしまっていた。
しばらく走るとコンビニが見えてきたので、頼忠はその駐車場に車を停める。
ハンドルに肘をつき自己嫌悪に頭を抱えていると、コンビニから射しこむ光に花梨が目を覚ました。
「すみません。私、寝ちゃったみたい。」
花梨が謝ると、頼忠は慌てて顔を上げた。
「いえ、私の方こそ、あの・・・」
「え?」
まだ寝ぼけた顔で首を傾げる花梨に、それ以上説明しては墓穴を掘ることになると気付いた頼忠は口ごもった。
花梨が、やけに明るい事に気付いて、外を見る。
「あれ?コンビニ?」
「あの、その・・・そうです、起こして良いものか迷ってしまって。」
「あ・・・そうだったんですか。すみません。」
「いえ。」
よく見ると、頼忠は何やら赤くなって慌てていた。
花梨は10歳も年上の男性がそんな風になっている様子を可愛いと思ってしまい、そのことが可笑しくて、吹き出してしまった。
花梨が笑ったので、頼忠も安心したように微笑んだ。
「では、戻りましょう。」
そう言って、車のギアを操作する。
後ろ向きに車が動き出した。
方向転換するため、コンビニの駐車場からバックで出ようとしているのだ。
機材で後ろが見えにくいのか、頼忠は助手席のシートに手を掛けて運転席と助手席の間から後ろを覗き込んだ。
まだボーっとした頭で頼忠を見上げていた花梨は、肩を抱かれてキスをされるような体勢に、心臓が跳ね上がり、一気に目が覚める。
その気配に、頼忠が花梨を見た。
至近距離で目が合う。
花梨は目の前で火花が散ったように感じた。
長い一瞬の後、頼忠が息を飲み、ガクンと車が停まる。
「あ・・・」
花梨が慌てて前を向き、頬を染めて俯いた。
「も、申し訳ありません!」
頼忠も慌てて謝ると、助手席にかけていた腕をバッと離し、真っ赤な顔で窓を開けた。
外から後ろを覗きこむと、再び車を動かす。
道路に出ると、今度は通り過ぎないように注意深く運転をした。
花梨は心臓の高鳴りが押さえられずに困っていた。
ちょっとしたハプニングなのに、意識しすぎではないかと思う。
社会人という未知の存在である頼忠が珍しいからだと、何度も自分に言い聞かせる。
しかし、頼忠の頼もしさと可愛らしさという相反する性質を、好ましく思っていることは確かだった。
どちらか片方だけなら特に何も思わないだろう。
寡黙で人を寄せつけない印象を与える頼忠の中にその二つの性質が同居していることが好ましいのだ。
そこまで思い当たった花梨が、これ以上好きになっちゃまずい、と青くなると、車が静かに停まった。
なんとか冷静さを取り戻した頼忠が、助手席と運転席の間のボックスに入っていたCDを花梨に差し出す。
「こちらも聴いてみてください。先日お渡ししたCDと同じバンドのアルバムです。」
「あ、ありがとうございます。」
慌てて受け取ると、花梨もシートベルトを外してカバンの中から返すつもりだったCDを取り出す。
その間に、頼忠はいつものように助手席のドアを開けた。
「あの、これ、ありがとうござい・・・ひゃっ!」
普通の車より一段高くなっているミニバンを降りながらCDを頼忠に渡そうとしたため、花梨はバランスを崩してしまった。
普通なら空いている手でドアにつかまったりするのだが、今日に限って右手にCD、左手にカバンを持っていた。
とっさに頼忠が右手を出す。
しかし、支えた場所が悪かった。
頼忠の腕に柔らかいものがふにゃ、とつぶれる感覚が伝わる。
「・・・!」
「・・・!」
慌てて体勢を立て直した花梨が、真っ赤になって左手に持っていたカバンを胸に抱いた。
今のが胸だって気付いてしまっただろうか、と頼忠を見上げると、頼忠は問題の腕を見つめたまま固まっていた。
花梨は心の中でワーンと泣き崩れる。
「あの、えと、今日はここでいいです!ありがとうございました!」
上ずった声でそう言いながら、花梨はCDを頼忠のお腹に押し付けると横をすり抜ける。
ギクシャクと玄関まで歩くと、急いで家に入り、バタンと音を立てて玄関を閉めた。
受け取った、というよりも、お腹から落ちないようにCDを押さえたまま、呆然とそれを見送っていた頼忠は、大きくため息をつくと、開いたままだった助手席のドアを閉めて、運転席に乗り込んだ。
ドアを閉めてCDを助手席に放り投げ、座席にもたれて呟く。
「初めて女性の胸に触れたのだと知ったら、あなたはどう思われるのでしょうか・・・」
先ほど嗅いだ花梨のコロンの香りがよみがえってきた。




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