安全



「雨が降ったら急に寒くなりましたね。」
花梨がスカートから覗く腿をさすりながら言った。
頼忠が黙って車を運転しながらエアコンを暖房に切り替える。
その視線の先にある花梨の細い腿に気付いて思わず目を留めた。
花梨が手でさすっているせいで、スカートが少しめくれる。
頼忠が慌てて視線を逸らした。
テスト前だとかで一旦家に帰ったらしく、今日の花梨は私服だったが、スカートは短いままだ。
「スカートを、もう少し長くするのはどうでしょうか?」
頼忠が頬を染めて、ワイパーが忙しく左右する前方を向いたまま言う。
「だって、カッコ悪いんだもん。」
「しかし・・・その・・・目の毒です。」
「え?毒?」
花梨が不思議そうに頼忠を見上げる。
「露になった足を見て、男性がよからぬ事を考えないとも限りません。」
「そんなあ、考えすぎですよ〜。」
花梨がクスクスと笑い出した。
頼忠は、真剣にそう思っていた。
可愛い花梨が景気よく足を出しているのを見ると、気が気ではない。
どうしたら花梨に分かってもらえるだろうか、としばらく考えてから、再び口を開いた。
「では、私がそんな事を考えているとしたら、どうなさいますか?」
花梨がキョトンと頼忠を見つめる。
思いが通じ合ったとはいえ、頼忠は、今までと全く変わらない様子で花梨と接していた。
花梨としては、もう少し恋人らしく振舞って欲しいのだが、頼忠はそんな素振りを全く見せない。
その頼忠が、花梨の足を見てエッチな事を考えるなど、花梨には想像できなかった。
「う〜ん、想像できません。頼忠さん、チョー安全って感じです。」
頼忠が盛大にため息をついた。
この可愛い恋人は、自分がどれだけ日々耐え忍んでいるか、全く分かっていない。
そう思うと、頼忠の頭に血が上る。
厳しい口調で言った。
「そのような考えは改めてください。私も男です。」
「え・・・」
花梨は絶句すると、頼忠の言葉が意味することに気付き、頬を染めて俯く。
頼忠は花梨の反応にはっと我に帰った。
「も、申し訳ありません。貴女が嫌がるような事は決してしませんのでご安心ください。」
「いえ・・・」
花梨が俯いたまま首を振る。
しばらく気まずい沈黙が流れたが、花梨が頬を染めたまま小さく呟いた。
「あの・・・私、頼忠さんならイヤじゃないです。」
「な・・・」
頼忠の顔がみるみる赤くなる。
「・・・もっとご自分を大切になさってください!」
そう言って、荒っぽく前髪をかき上げると、車のスピードを上げた。

「申し訳ありませんが、今日もここで。」
「はい。」
以前は玄関まで送ってくれていた頼忠だったが、花梨の母親が夕飯を食べて行けとしつこく誘うので、最近は車から降りない。
花梨はシートベルトを外すと、カバンから辞典ぐらいの大きさをした包みを出した。
「あの・・・頼忠さん今日がお誕生日ですよね?」
「・・・はい。」
頼忠が驚いた顔で花梨を見る。
「頼忠さんは仕事もしてるし、買いたいものは自分で買えると思うから、何か手作りの物って考えたんです・・・」
そう言いながら、花梨は頼忠に包みを渡した。
サイドブレーキを引いてから呆然と受け取る頼忠に、花梨は恥ずかしそうに続ける。
「夕飯もウチで食べていかないし、いつも一人で何食べてるのかなあって思って・・・」
頼忠が包みに視線を落とす。
「料理下手だけど、夕飯作ってみました。チンして食べてください。」
花梨の心遣いに、頼忠は胸がいっぱいになった。
実際、頼忠はろくなものを食べていない。
「・・・ありがとうございます。」
「本当は、頼忠さんちで作って一緒に食べれたらもっと良かったんだけど。」
そう言って無邪気に微笑む花梨に、頼忠の表情がこわばる。
「またそのような事を・・・」
「えっ?」
頼忠は黙って花梨にもらった包みを丁寧にダッシュボードに置くと、シートベルトを静かに外す。
次の瞬間、素早く身を翻すと、手を伸ばして助手席の下にあるレバーを引き、乱暴にシートを倒した。
「ひゃっ・・・」
シートが倒れた衝撃で目を閉じた花梨が恐る恐る目を開けると、目の前に頼忠の顔があった。
冬の夜空のような瞳に吸い込まれそうになる。
「貴女は私の欲しい言葉、欲しい物を下さる。今もそう・・・その度に、私は貴女自身が欲しくなるのです。」
頼忠が低い声を出し、花梨の心臓が跳ねた。
頼忠はさらに花梨に顔を近づけて囁く。
「私の部屋に足を踏み入れて御覧なさい・・・帰しませんよ。」
「・・・!」
頼忠の長い前髪が花梨の頬をくすぐる。
花梨は真っ赤な顔で負けじと大きく息を吸った。
「頼忠さんならいいって言ってるじゃないですか!」
そう言って憮然と目を閉じる。
頼忠は、予想外の反応にそのまま固まってしまった。
頼忠の言葉に嘘はなかったが、嫌がって反省すると思っていたので、この先どうするかなど考えていなかった。
花梨は何かを待つように目を閉じ、震えている。
頼忠の頬に赤みが射しはじめた。
『据え膳食わぬは男の恥だな。』
突然、いつ聞いたのか分からない勝真の言葉が頼忠の脳裏をかすめる。
ずいぶん長い間逡巡してから、頼忠は意を決した。
花梨の唇に触れるか触れないかのキスを落とすと、運転席に戻る。
「ん・・・?」
目を閉じていた花梨は頼忠の気配がしなくなったので恐る恐る目を開けた。
真っ赤な顔でシートベルトをつけている頼忠を見て、くすりと笑うと起き上がる。
「やっぱり頼忠さんって、チョー安全!」
その言葉に、頼忠はハンドルに肘をついて頭を抱えた。
どうやら花梨は頼忠のキスに気付かなかったようだ。
花梨はシートを戻してドアを開けると、傘を開いて外に出る。
「おやすみなさ〜い。」
頼忠に告げると、バタンとドアを閉めた。
頼忠はその音に顔だけ上げて、水玉の傘が玄関に到着するまで律儀に見届ける。
小さく手を振って玄関に入っていく花梨を見送ってから、ダッシュボードの上の包みを見つめた。
頼忠の唇に花梨の唇の感触が蘇る。
身体の芯が火照る感覚に気付き、頼忠は慌てて身を起こした。
花梨に欲情するなど、今の頼忠にとっては罪以外の何物でもない。
頼忠は軽く頭を振って、ダッシュボードの上の包みを大切そうに助手席へ置くと、静かに車を出した。




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