夢の初デート
休日、望美と譲はお台場に来ていた。
デートらしいデートが初めての譲は、よそ行きのシャツを着て、少し緊張している。
異世界から戻って半年ほど、二人の休日は専らどちらかの家でダラダラしてばかりだった。
譲は望美と一緒に居られればどこでも良かったし、望美は譲から誘われるのを待つような性格ではないのを、譲は良く知っている。
そんなある日、友達に何か言われたらしく、望美が急にデートしたいと言い出したのだ。
今、二人は夜のメインイベントであるべき大観覧車に乗っている。
昼間の方が海がキレイだからという望美の意見に、譲が逆らえるはずもない。
夜景を見ながら観覧車のてっぺんでキスをするという乙女のようにささやかな譲の夢は、いつになるか分からない次回に持ち越し決定となった。
お台場に着いてからずっとこんな調子だ。
譲は昨夜なかなか眠れなかったくらい、初デートに過剰な期待をしていたのだ。
海浜公園で海を眺めながらキスしたり。
二人きりのエレベーターでキスしたり。
何かにつまづいた拍子にキスしたり。
ぶっちゃけキスしたいだけの譲の下心は、ノーヒットノーランのまま独り相撲の様相を呈している。
本当にデートだと思っているのかというほど、望美は普段どおりで。
むしろ、子供の頃に戻ったようにはしゃいでいる。
せめてショッピングモールでは腕を組んだりしてくれちゃったりするのではないかと思っていたのだが、望美は並べられた服を見るのに夢中で、まるで譲のことを忘れているかのようだった。
『どう?似合う?』
『お前は何を着ても似合うよ。』
周りの恋人たちから歯の浮くようなセリフを聞くたび、なぜかヒノエを思い出して苛立つ。
あの異世界でも、ヒノエが望美を口説くたびに思っていた。
・・・俺だってそのくらいのこと言える。
だったら自主的にいろいろ言えばいいのに、譲はただ影のように望美について回るだけしかできなかった。
そんなことが言えるくらいなら、十ウン年も片思いのままで居たわけがないのだ。
外の景色を見て、望美が無邪気に歓声を上げている。
密室に二人きりなのに、キスをするような雰囲気ではない。
譲は諦め半分で、望美の横顔を眺める。
「譲くん、あそこに見える土地って、もしかして江ノ島かな?」
望美が屈託のない笑顔を譲に向けた。
「いえ・・・多分、三浦半島だと思いますよ。」
「あっ、そっか、江ノ島が見えるわけないか。」
そう言って、望美がきゃらきゃらと笑う。
譲もつられて微笑む。
望美が心から楽しんでいるなら、それでいい。
この可愛らしい笑顔を独り占めできるだけで、今は充分。
「ねえ、お化け屋敷に行ってみない?」
望美がレトロ街のマップを見ながら言った。
「ええっ?もういい加減、見飽きたでしょう?」
譲がうんざりとした声を上げる。
半年前まで毎日本物を相手にしていたというのに、今さらお金を払って偽物を見ようなんて、思わない。
「だって、入った事ないんだもん・・・」
望美がむくれる。
望美は子供の頃から、遊園地に行ってもお化け屋敷にだけは入りたがらなかった。
将臣が望美を引きずって入ろうとした時などは、大声で泣いて座り込んでしまったのだ。
食べず嫌い、のように、入らず嫌い、というようなものがあるのかも知れない。
「・・・もう怖いのも見慣れたし、一度入ってみたいの。いいでしょ?」
望美が上目遣いで譲を見上げる。
「え、ええ、俺は別に構いませんけど・・・」
譲が頬を染めて眼鏡を上げる。
望美のお願いモードには弱い。
「やったあ!」
望美が子供のように喜ぶ。
腕の中にぎゅっと抱き込んでナデナデしちゃいたい可愛さだ。
譲はこみ上げる感情を控え目すぎる行動に昇華させる。
「じゃあ、行きましょうか。」
そう言っておずおずと手を差し出すと、望美が笑顔のまま頷いて、それを握り返した。
「なんだ、やっぱり全然怖くない。」
最初は恐る恐る入った望美だったが、子供だましな装置の数々に、気が大きくなっているらしい。
先に立って、どんどん歩き出す。
譲はそれを追いながら、微かにため息をついた。
お化け屋敷と聞いて、連想するのは「キャー怖い」とか言いながら彼氏にベッタリと寄り添う女の子だ。
だが、そんなテンプレートなラブラブイベントも、望美が相手では起きそうにない。
せっかく勇気を出して繋いだ手も、チケットを買った時に離してしまい、10分ももたなかった。
望美はどんどん奥へと進んで行く。
譲もズボンのポケットに手を入れて、緊張感の欠片もなく望美について行く。
突然、叫び声と共にゾンビが現れた。
それまで見ていたような子供だましな装置ではなく、生身の人間がマスクをしているタイプのゾンビだ。
望美が悲鳴をあげると、譲のもとへ駆け戻って来て抱きつく。
脇腹から背中を締め上げられる感触。
柔らかい望美の胸からかかる甘い圧力。
強く抱きつかれたことなどなかった譲は、その快感に恍惚としてウットリと顔を上げた。
ゾンビと目があう。
はっと我に返って緩んだ顔を引き締めると、譲は胸に顔を埋めている望美に声をかけた。
「先輩、こんなのよりもっとドロドロしたの、いっぱい見たじゃないですか。」
自慢のハリウッドメイクをけなされて、ゾンビが憮然とする。
「・・・だって・・・怨霊は急に出てこなかったから・・・びっくりして・・・」
確かに、怨霊は望美を驚かすのが目的ではないので、生身の武士と同じように遠くから迫ってきて望美に斬りつけようとした。
惟盛のように特別な方法で復活させられた怨霊でない限り、どこかに隠れていていきなり望美を襲えるような頭脳を持つ怨霊も居なかった。
「・・・まったく・・・ここに居ても仕方がないですから、行きますよ。」
ゾンビが見ている手前、いつまでも望美に抱きつかれてデレデレしている訳にもいかない。
譲は望美の肩を持って引き離すと、職員室から出て行くかのように、ゾンビにぺこぺこ頭を下げながら出て行こうとする。
「やあっ、待って、譲くん!」
望美はそう言うと、譲の腕をつかんで抱きついた。
肘が二つの柔らかいものに挟まれる。
「うわっ・・・」
譲が慌てて腕を引こうとすると、望美がウルウルと瞳を潤ませて譲を見上げた。
「お願い・・・怖いの・・・」
譲が眩暈を覚える。
卒倒しそうなほど可愛い。
物陰へ連れ込んでもっと怖い目に遭わせてしまいたい衝動が込み上げる。
それを行動に移そうとした時、うしろでゾンビが遠慮がちにウーと声を上げた。
次の客が来てしまうのだろう。
「と、とにかくここを出ましょう。」
譲が望美に腕をつかまれたまま歩き出した。
「うん。」
望美も素直に頷くと、譲の腕に抱きつきながらついてくる。
いつも気丈な望美が珍しく見せるそんな様子は、とても可愛い。
その上、歩くたびに、肘が柔らかいものでフニフニと刺激される。
譲はなるべくゆっくり歩き、つかの間の幸せを堪能した。
お化け屋敷から出てきた時、譲は、天国を見てきたかのようにだらしない笑みを浮かべ、その隣で望美は、地獄を見てきたかのように震えていたという。