朝帰り
譲がタクシーを降りると、数人の人影に埋もれていた望美が飛び跳ねながら手を振った。
「ここだよ〜ぅ!」
望美の周りに居た人影が慌てたように離れたのを見て、譲は望美へ向かう足を速める。
男が、しかも数人。
不必要なほど望美に近づいていたのは、明らかだ。
「先輩!」
思わず呼ぶと、望美は重力から開放されたようなスキップで人影の間から出てきた。
慌てて駆け寄り、抱き留める。
ツンと、料理酒をフライパンで蒸発させた時のような匂いが望美から立ち上って。
「ごめんねぇ、ゆずるくぅ〜ん。」
望美は全く反省の色のない言い方で、クスクスと笑いながら擦り寄ってきた。
譲が青くなる。
こんな望美は見たことがない。
どうやら酒を飲んだらしいけれど。
まるで、麻薬でも打たれたかのような。
譲は熱く重い望美の身体を支えながら、顔を上げた。
望美を取り巻いていた人物たちを、素早く観察する。
「ひゅーひゅー!アツいねーーっ!」
「へぇ、これがユズルクンか。」
ボキャブラリが古い割にノリが若い女と、興味津々という感じの優男。
咥えタバコのまま黙ってこちらを見ている男と、ひと目でリーダーと分かる爽やか男。
なんていうか、そう、アレだ。
後楽園で僕と握手。
さしずめ望美はピンクか。
「悪いね、こんな時間に。」
レッドが爽やかな笑みを浮かべて、偉そうに言う。
まるで自分の彼女を下僕に迎えに来させたような言い方。
なんかカチンと来る。
譲は腕の中で猫のようにゴロゴロ甘えている望美を抱き寄せると、負けずに言った。
「いえ、彼氏として当然の事をしたまでです。」
「フッ・・」
ブラックが嫌味な笑い声を立ててタバコを投げ捨てる。
セリフにするなら「青いな」とかそういう事か。
すごくカチンと来る。
「望美って、こういう真面目クンがタイプだったんだ〜?」
ブルーが軽蔑を滲ませてクスクスと笑う。
真面目の何が悪い。
しかも呼び捨て。
超カチンと来る。
「えへへ〜、譲くんは、とっても真面目で頼りになるんですぅ〜!」
望美が譲の首にかじりついたまま、サンタクロースに貰った玩具を自慢するように飛び跳ねる。
「せ、先輩・・・」
望美の跳躍の反動で首をガクガク揺らしながら、譲は困ったように呟いた。
なんかもうギュッとしてチュッとしちゃいたいくらい可愛いけど、今はそれどころじゃない。
「もうっ、可愛いなあ望美は・・・おいで!」
イエローが子犬を呼ぶように言うと、望美はあっさり譲から離れてしまった。
「智子せんぱい〜っ、今日はありがとうございましたぁ〜!」
叫びながら、イエローにギュッと抱きつく。
「よしよし、ん〜〜っ。」
イエローはやっぱり子犬にするように望美の頭を撫でると、唇を尖らせた。
「ん〜っ!」
制止する間もなく、望美がイエローとキスをする。
譲が凍りつく。
相手が女とは言え、いま一番したいナンバーワンの、ギュッとしてチュッを、目の前で。
イエローは再び望美をギュッと抱きしめると、呆然と固まっている譲を見てクスリと笑った。
絶対、わざとだ。
朔に比べたら仲良し度は低いが、悪意があるだけ朔よりタチが悪い。
・・・なんなんだ、この連中は?
いや、もちろん、望美の大事なお友達。
分かっている。
分かっているのだけど。
すっっっげーーーー、ムカつく。
「早く帰りましょう、先輩。」
望美に関しての感情をコントロールするのが全くもって不得意な譲は、何とも素直にトゲトゲしい言い方になる。
それでも、望美は酔いも手伝って全くそれに気付かない。
「うん!もう遅いもんね〜!」
そう言うと、やはり危なげなスキップで譲のもとに戻って、ムカつくんジャーに手を振った。
「どうもありがとうございました〜!」
譲も一応、申し訳程度に頭を下げる。
「じゃあな、気をつけて帰れよ。」
レッドがウインクしながら言った。
後楽園で僕と握手そのものだった。
タクシーが動き出しても、譲は望美に何を言うべきか考え込んだまま、言葉を発する事ができないでいた。
つい30分ほど前。
そろそろ風呂に入ろうかと思った頃、望美から携帯に電話がかかってきて。
『シンカンコンパが長引いて電車がなくなっちゃったのぉ〜、迎えにきてぇ〜?』
一生に一度、聞けるか聞けないかと思うような甘えた言い方に、思わず即答してタクシーに飛び乗って来てしまったのだけれど。
まさか、未成年なのに酒を飲んでいたとは。
四月から通い始めた看護学校でどんな生活をしているのかと、親以上に心配していた途端にこれだ。
必死で冷静になろうとしても、ハラワタは煮えくり返るばかりで。
口を開いたが最後、望美を完膚なきまでに叱り付けてしまいそうな気がして。
「来てくれてありがとぅ〜。」
望美はそんな譲に全く気付かず、ゴロニャーと抱きついて来る。
本当だったら浮き足立って喜び勇んで抱き締め返したいのに、とてもじゃないけどそんな気になれない。
譲は大きくため息を吐いて、煮えくり返るハラワタを少し冷ますと、抱きついてくる望美の背中に軽く手を添えて言った。
「どうしてこんな事に・・・」
「うん!シンカンコンパなの!」
望美が幼稚園生のような勢いで即答する。
「それはさっき電話で聞きました・・・」
譲は望美を抱いていないほうの手で眉間を押さえた。
白龍との会話が懐かしく思い出される。
・・・仕方ないな・・・ひとつずつ聞いていくしかないか・・・
譲は一つ息を吐いてから、努めて冷静な声を出した。
「シンカンコンパというのは何なんですか?」
「え〜っとねぇ、テニスサークルに入ってぇ〜、そうしたら歓迎会してくれるって言うから行っちゃったのぉ!」
あははははっ、と望美が手を叩いて爆笑する。
・・・そこはどう考えても爆笑する所じゃないだろ・・・
心の中で突っ込みながら、譲は先ほどから渦巻いていた疑問を口にした。
「看護学校のサークル歓迎会に、どうしてあんなに男がいるんですか?」
「ん〜?なんかねぇ〜、慶応とか色んな大学の人が入っててぇ〜、男の人はお医者さんになりたい人でぇ〜、私たちは看護婦になりたいからぁ〜、とっても勉強になるんだってぇ〜。」
もともと望美は頭の良い方ではないけれど。
いつも以上に幼稚な言語を、図書館で借りた蛍雪時代の情報へ当てはめて分析するに。
医学部系のインターカレッジサークル。
未来のエリート医師と、未来の玉の輿看護婦が、未来の伴侶を今にうちにゲットするべく集まってるだけのこと。
テニスサークルという名を借りた、青田刈りの場だ。
やっと譲はムカつくんジャーの真意を確信する。
・・・やっぱり・・・
あれは、完全に望美を狙っていたのだ。
そしてイエローは、多分、女性サイドの刺客。
華のある望美をサークルに引き止めて、男性側の新入生をゲットする広告塔にする気だろう。
譲が望美と別れれば良いぐらいに思っているのだ。
よりにもよって、どうしてそんな危険なサークルに。
譲は泣きたい気持ちを抑えて、更に問い詰める。
「それで、サークルの歓迎会でどうしてお酒が出るんですか。新入生は殆ど未成年でしょう?」
望美が急にしゅんとして言った。
「分からないけどぉ、そういうものなんだって〜。みんな飲んでた〜。でも私、『譲くんに怒られる』って言ったんだよ〜?あ、そうしたらね!これなら平気ってオレンジジュースみたいなのを飲ませてもらったの!あはははは!なんだっけ〜、美味しかったから譲くんに作ってもらおうと思ったのに〜・・・え〜とぉ〜、ドライバ・・・う〜ん、ドライバースクールだったかな〜?」
しゅんとしていたはずの望美は、早くも暢気な表情で首を傾げている。
「自動車教習所なんて名前のお酒があるんですか?」
ため息交じりの譲の声に、望美は元気よく頷いた。
「うん、きっと初心者向けって事なんだよ〜!」
全く反省の色のない様子に、譲の怒りが再燃する。
「その割に、ずいぶんな体たらくですね。」
冷ややかに言うと、望美はキョトンとしてから譲にしなだれかかった。
「・・・ごめんねぇ〜?」
理性が吹っ飛ぶような、甘えた声と上目遣い。
うんもう許しちゃう、と喉まで出かかった言葉を無理やり呑みこんで、譲はことさらに厳しい声を出した。
「ごめんで済む問題じゃないでしょう。」
望美が唇を尖らせて、譲の胸板の上に"の"の字を書く。
「・・・譲くんには〜、迷惑・・・」
腰のあたりがムズムズするのに耐えながら、譲は叩き落すように言った。
「そういう事を言ってるんじゃないんです。」
「・・・未成年が〜、お酒を・・・」
「警察の仕事を手伝っているつもりもありません。」
「・・・えっと〜・・・」
思いつく謝罪の言葉を全て遮られ、望美が心底困ったという顔になる。
譲はそれを見て取ると、待っていたかのように畳み掛けた。
「今のあなたが、どれだけ危険な状態か分かっているんですか?」
「え〜?」
望美が首を傾げる。
「女性を酔わせて襲うのは、不良大学生の常套手段のようなものでしょう?!」
ニュースの知識から得た少々行き過ぎの譲理論に、望美はいきなり吹き出した。
「なぁんだ、そんな事かぁ〜。」
そう言ってケタケタと笑う望美を、譲が憮然と見つめる。
望美はひとしきり笑ってから、やはり反省の色のない口調で続けた。
「不良じゃないよ〜、みんな優しくて、とってもいい先輩たちだもの〜。それに、襲われたって大丈夫だよ〜。そこらへんの男になんか、負けない自信あるも〜ん!」
言って、えへーと笑いながらガッツポーズを作る。
黙ってそれを聞いていた譲の、こめかみの辺りがブチッと鳴った。
「・・・だったら、試してみましょうか。」
低い声で呟くと、いきなり身体を起こして運転席を覗き込む。
「運転手さん、ここから一番近いラブホテルに向かってくれませんか。」
それだけ言い放ち、返事も待たずにドサリと座席にもたれかかって、譲は苛立った顔を窓の外に向けた。
慌てたようにウインカーが点滅して、近くにあった駐車場で切り返す。
来た道へと引き返すらしい。
目的地である二人の家はもう、すぐそこだったのだ。
ふいに街灯が車内を照らして。
目を丸くして譲の横顔を見つめている望美の姿を、一瞬だけ窓に映した。
朝もやの中、二人は手を繋いでゆっくりと歩いていた。
まだ眠りから覚めきっていない住宅街は、とても静かで。
音を立ててはいけないような気分になる。
譲と望美は、春日家の門に到着するまで、押し黙ったままだった。
はたから見れば、初々しい二人の微笑ましい朝帰り。
けれど、譲は今、怒り心頭であろう望美の父親にどう許しを乞うかで頭がいっぱいだった。
望美も、起きてからずっと言葉少なだ。
譲が春日家の門を開ける。
だが、繋いでいる手を引っ張られ、振り向く。
俯いたまま、望美が足を止めていた。
「・・・先輩?」
駄々っ子を嗜めるような声は、譲が意識してわざと出したものだ。
「大丈夫ですよ、俺が何とかしますから。」
望美が俯いたまま首を振る。
譲が見えない表情を覗き込もうとするより早く、望美は顔を上げた。
「なんで、してくれなかったの・・・?」
譲はそこで初めて、望美が譲とは全く別件でブルーになっていたのだと知った。
その件は、昨日の夜に解決済みだと思っていたのに。
「ですから・・・まさか電気のスイッチが枕もととは思わなくて、探しているうちに萎え・・・その・・・やる気が削がれたって、言いましたよね・・・?」
完全にそれだけが原因でもないので、ぎこちなく目を逸らすと、玄関先で望美の父親が仁王立ちになっているのが見えた。
・・・うわ・・・
腕組みをして、こちらを睨んでいる。
「ウソ。」
短く言われて、見ると、望美もこちらを睨んでいた。
・・・うわ・・・
こんな中間管理職みたいな思いをするほど、譲は悪い事をしてはいないような気がする。
とりあえず今は、望美の怒りを冷ます事が最優先だろう。
「・・・本当ですよ・・・それに・・・酔った勢いで、あんな事をしても・・・」
曖昧な笑みを浮かべて言うと、望美の瞳が更なる怒りに燃え上がるのが見えた。
「シャワー浴びてからはもう、酔っ払ってなかったもの!譲くんだって、途中までシたでしょう?!」
怒声が閑静な住宅街に響いて、電線にとまっていた鳩がバサバサと逃げていった。
絶対、聞こえてる。
チラリと望美の父親を見ると、思ったとおり娘と同じく更なる怒りに瞳を燃え上がらせている。
心ここにあらずの譲の様子に気付いて、望美はかあっと顔を赤くすると、大きく息を吸い込んだ。
「エッチなことしたいって言ったじゃない!」
最悪の内容がご近所中に響き渡る。
だが、明後日の生協がこの話で持ち切りになるという事以上に、一番聞かれたくない人が望美の後ろに居るせいで、譲の反応もすこぶる悪い。
「ま・・・まあ、そんなような事も言ったような言わないような・・・」
とたん、望美の瞳からぼろぼろと涙が溢れ出した。
「・・・酷いよ・・・私、一生懸命考えて・・・妊娠したらどうしようとか、刀傷より痛いのかなとか、たくさん考えて・・・」
譲が青くなる。
気付かなかった。
流れが流れだったので、ずいぶん簡単に決断したように見えていた。
けれど、それは大変な誤解だったらしい。
望美なりに、この数ヶ月、必死に考えて、ずっと悩んで。
答えを用意していたからこその、決断だったのだ。
譲が慌ててポケットからハンカチを出す。
「・・・すみません・・・俺も、決していい加減な気持ちで言っているわけではないんです。」
涙を拭う譲にされるままで、望美は泣きながら譲を見上げる。
「本当に?」
「はい。」
譲はしっかりと頷くと、真摯な瞳で望美を見つめて続けた。
もう、誰に聞かれようが、構わない。
「あなたが欲しいという気持ちは変わりません・・・けれど・・・自信がなくなってしまったんです。」
「え?」
望美が泣き腫らした目を丸くする。
「ですから、もう少し大人になってからにしませんか?」
流石に、裸を見ただけで終わっちゃいそうな気がしましたとは言えない。
何か訊きたそうな望美へ畳み掛けるように言うと、望美は首を傾げたまま、頷いた。
どうにか気持ちは伝わったらしい。
安堵の息を吐いて、望美の額に口付ける。
そっと望美を抱き寄せて顔を上げると、いつの間にか、望美の父親の姿はなくなっていた。
※未成年の皆さんへ。「お酒は20歳になってから!」です。