新歓コンパ
魚丁(仮名)中目黒店は酔った学生で賑わっていた。
新歓コンパの季節である。
酔い方を知らない学生に迷惑を被るのが嫌な社会人は、この時期、財布が痛んでも安い居酒屋には近寄らない。
そして、いくら将来を約束された医大生だからと言って、静かにカクテルを傾ける気などない者が高級居酒屋に足を踏み入れれば、顰蹙を買うのは当たり前。
中身も外見もブランドに頼り切った、そんな医大生はごく一部なのにどうにも目立ってしまって悪評の元になるチャラけた集団だって、周囲から微妙に浮きながら新歓コンパは魚丁(仮名)なのである。
譲は周囲の視線の痛さを感じながら、否応もなくビールを注がれていた。
斜め向かいの男は上下真っ白のスーツだし、その隣の女はまだ春先なのにブラ見せノースリーブ全開だ。
しかも、ありとあらゆる香水の強い匂いが混ぜられた空間は息を止めたくなるほど臭い。
それが大学生として普通でないことは、少し振り向いて痛い視線が来る方向を見れば分かる。
申し合わせたかのように全員ネルシャツの男達と目が合って、譲はむしろそっちの仲間に入れて欲しいと切実に思いながら、泡立つコップに視線を落とした。
望美は遠くの席で、他の新入生にビールを注いだりしている。
多分、意図的に離されている。
分かっていたこと。
全て想定範囲内。
譲はまるで義務であるかのように、針のムシロであろう望美のインカレテニスサークルに入部したのだ。
それもこれもみんな、愛する望美を数多の危険から守るため。
「よし、みんな準備はいいか?」
やっぱりと言うか何と言うか、レッドは主将になっていた。
ビールの入ったグラスを掲げて既に片手は腰。
今どきオロナミンCのCMだって腰に手を当てたりしない。
「新入生のみんな、入部おめでとう。今日はどんどん飲んでくれよ。」
去年の時点で既に問題だったのだが、ヒーローと見まごう爽やかさで未成年に飲酒を勧めるとは何事だと思う。
乾杯の音頭に目立たないようコップを掲げながら、譲は、一杯だけ飲んでソフトドリンクに切り替えよう、などと思っていた。
今夜は、酔った望美を介抱しながら自分のアパートに帰る予定でいる。
何の手出しもできなかった去年の自分は、今やもう過去のもの。
今年こそ、あのゴロニャン状態の望美をアツい猫じゃらしで文字通り猫可愛がりしちゃうのだ。
そのためには正気で居なければ意味がない。
飲み始めた周りに合わせて、ビールを味見程度に啜る。
初めて味わう、大人の苦み。
思ったより美味しいかも知れない。
・・・まあ、カラダはもうすっかりオトナだしな、俺。
譲はオトナな回想に小さく笑みを浮かべて、再びグラスに口を付けた。
見目は麗しく笑顔は朗らかで仕草は可愛らしい、しかも飲みっぷりも良いときている望美は、席から動かなくても入れ替わり立ち替わり男達がやってくる。
他愛もない話だの自己紹介だの自己アピールだのドサクサに紛れた告白だのを、「あははははっ、そんなコトよりもう一杯飲めばぁ?」と満面の笑顔で聞き流す望美。
男達は微妙な気分になりながらも、もう一杯飲まずには居られない。
譲が地を這うような苦労をして鈍感なまま純粋培養した成果が、しっかりと表れている。
飲み会終盤ともなれば、色んな意味で玉砕した男達が、望美の周囲に累々と転がるのだ。
もちろんその中には、望美に冗談半分で抱き付こうとして、冗談半分の鉄拳を鳩尾に受けた者も居たりする。
いつものように、群がっていた最後の一人を酔い潰してから、やっと望美は譲を振り向いた。
次々に襲う刺客に対応するのが手一杯で、譲を気にする余裕もなかったのだ。
果たして譲はと言えば、周囲に人だかりを作っていた。
「あははっ、譲くん、人気者ぉ〜!」
酔った望美が身軽に立ち上がり、玉砕した男達を踏みながら譲へと近づく。
「おー望美、お前の彼氏、面白いな。」
人だかりの中に居たブルーが望美を手招きした。
「ん〜?面白いかなぁ〜?」
いくら譲のことを全く分かっていない望美でも、譲にお笑いの才能がないことぐらいは知っている。
首を傾げながら人だかりの間を覗き込むと、譲は大人しく座って酒を仰いでいた。
隠し芸です、などと言ってドジョウ掬いをしている様を想像していた望美は拍子抜けする。
しかし、次の瞬間、鼻から息を吐きながらコップを置いた譲の口から信じられない言葉が出た。
「れすから、なんろも言うようれすが、俺とせんぷぁいはもうかぞえひれないほろふかぁ〜〜〜く愛しあってるわけなんれすよ。」
「な・・・」
酔いも吹っ飛んで望美が口をぱくぱくさせる。
「あといっはい飲んららウーロンひゃにひます。」
続けて独りで言いながら、譲は傍らの一升瓶からコップに並々と酒を注いだ。
ウーロン茶にするつもりが有るようには全く見えない。
「ちょっ、ちょっと待って!」
望美は思わず声を上げた。
「せんぷぁい・・・」
譲が顔を上げて、天使が現れたかのように夢見心地な声を出す。
望美は慌てて譲の後ろに回り込むと、譲の隣に居たイエローを押しのけて割り込んだ。
「譲くんって、こんなにお酒弱かったの・・・?!」
母親気取りで悲鳴交じりの声を上げる望美に、周囲から口々にツッコミが飛ぶ。
「弱いか?」
「や、弱くないだろ。」
不思議そうにする望美に、ブラックが黙って顎で譲の傍らを示した。
見れば、空になった一升瓶が一本転がっている。
「な・・・」
本日二度目の絶句。
望美は次にイエローを振り向いて、悲鳴交じりの声を上げた。
「智子先輩ですかっ、こんなに飲ませて・・・!」
イエローも流石に焦った顔で、首を横に振る。
「いやー、未成年がどうとか言ってたから、焼酎で手っ取り早く酔わせようとしたのは認めるけどさー、途中から勝手に飲み始めて・・・あ。」
イエローが気付いた時にはもう遅く、望美は後ろから譲に抱き竦められていた。
「ちょっ・・・譲く・・・あんっ?!」
譲はウフフと不気味な笑いを漏らしながら、望美の胸をまさぐっている。
周囲の男達からオーという感嘆の声が漏れた。
累々と転がっていた玉砕者たちもエロだけを原動力にゾンビ化する。
「や、やめっ・・・」
辛うじて望美が譲の腕から逃れ、譲に向き直ったが、今度は唇を塞がれる。
再び周囲からオーという声が漏れた。
「んっ、んんっ・・・!」
抵抗する望美の声は、AVなんかよりリアルで色っぽく、転がったまま生唾を飲むゾンビも居る。
譲はやっと唇を離すと、周囲の男達を睨め回してから、不敵な顔で言った。
「俺の女れすから。ちょっかいらしたら殺します。」
すうっ、と空気が凍る。
ろれつが回っていなくても、譲の瞳に宿る殺気が物騒な言葉を冗談ではなくしてしまっていた。
新入生以外は、その殺気を知っている。
望美がすごくノッている時のサーブ。
思わず避けてしまって望美には笑われるのだが、あの重い殺気が載った球は、絶対に打てない。
コロサレル。
動物の本能が、必然的に避けてしまうのだ。
その望美と付き合っているだけのことはあるのだろう。
ゴキブリも殺せないような優等生に見える彼氏も、どうやら相当ヤバい。
「誰が俺の女なのよっ、バカーーーー!」
望美が座布団で譲を殴って、凍りついた空気はひとまず溶ける。
「そんなっ、せんぷぁいはこころもかららもずぇんぶ俺らけのものれしょう?」
譲がずれ落ちた眼鏡を直しながら望美に縋り付いた。
「な・・・」
本日三度目の絶句。
どう答えるのか興味津々の視線が望美に集まる。
「・・・だ・・・だからそのエッチな言い方が気に食わないのよっ!」
真っ赤になって、望美は座布団で何度も譲の頭を叩いた。
「エッチもらにも、本当のことれしょう?せんぷぁいは俺となら喜んれロウソクもっらり目隠しされらりするんれしょう?」
座布団で叩かれながらも譲は自分の言葉で悦に入ってクスクスと笑っている。
「へー、望美ってそういう趣味あったんだ・・・しかも傾向メチャクチャだし・・・」
イエローが横目で望美を見た。
「ち、違います!ただの譲くんの願望ですから!」
慌てる望美の横から譲が嬉しそうに口を挟む。
「れもこの前しばられて喜んれまし・・・」
「喜んでないもん!バカー!」
ついに望美の平手が飛んで、譲の眼鏡が軽い音を立てて落ちた。
衝撃で横を向いたまま、譲が黙る。
望美が、気まずい顔になった。
先ほど殺気を感じた小動物の皆さんは、譲と望美のパワーバランスを野生の勘で判別する。
尻に敷いているようで、実は尻尾を捕まれているのは、どうやら望美。
小動物達の心の中はいつでも逃げられる準備が整っている。
譲がゆっくりと顔を俯けて。
落ちた眼鏡を拾って掛け直して。
黙ったまま上げた顔は、大勢の予想に反して泣きそうな顔だった。
「・・・イヤらったんれすか・・・?」
「な・・・」
本日四度目の絶句。
「・・・あんらに気持ちよさそうに・・・」
返す言葉を探していた望美が慌てて譲の口を塞ぐ。
だが譲は口を塞がれたまま抵抗するように叫んだ。
「2ふぁいもひはのにえんぎらっはんれふはーーー!」
一瞬だけ、魚丁(仮名)全体がシンと静まり返る。
望美は店中の視線に晒されまいと、慌てて身体を伏せた。
口を塞いでいたのもあって、会話の前後関係を知らない者には辛うじて意味が分からなかった、きっとそう、心からそう願いたい。
手が付けられないと悟った望美は譲の口から手を離し、超特急でハンドバッグから財布を出すと、一万円札をイエローに渡した。
「連れて帰ります!お釣りは今度会った時に!」
言ってる間に、背後で譲がゆらりと立ち上がる。
今度は何をするつもりだ、と望美も警戒の面持ちで対峙する。
「・・・そうれすね、帰ってもう一回しばっれみればせんぷぁいも分かるれしょう。」
「・・・そ、そうだね・・・」
望美はとりあえず、この場を去る方向に向いている譲のベクトルを変えないよう適当に相づちを打つと、譲の背中を押して去りながら振り向きざまに言った。
「この酔っぱらいの言ったことは、ぜーんぶ忘れて下さいね!」
テニスサークルの面々は、返事もできないまま呆然と、二人が店を出るまで見送る。
忘れろったって、ムリだ。
「俺は酔っぱらってまひぇんよ。」
「はいはい、酔ってない酔ってない。」
「せんぷぁい、これから俺たちふかぁ〜〜〜く愛しあうんれすよね。」
「な・・・わ、分かったから、早く帰ろ?」
「あい。すぐに帰りまひょう、俺らちの愛の巣に。」
「出口はこっち!」
「望美ーっ!愛しへるーーーっ!」
「ちょっ・・・バカ!」
「フフフ、今夜も眠れまへんね・・・」
※未成年の皆さんへ。「お酒は20歳になってから!」です。