卒業記念


下駄箱から靴を出し、スノコの脇に揃える。
何気なく上履きを下駄箱に入れてから、譲ははたと思い出して、カバンから上履き袋を出した。
胸に、何かが滲むような感触。
当たり前のように12年間も使い続けてきた、けれど、広い社会から見れば、とても特殊な履き物。
上履きという存在に触れるのも、多分、今日が最後だ。
どちらかと言えば少しでも早く高校を卒業したかった譲の、ほんの小さな感傷。
譲はそれを振り切るように、上履き袋に上履きを仕舞う。
卒業を喜んだり悲しんだりする周囲の生徒達の声が、玄関に響き渡っている。
上履き袋をカバンに仕舞い、靴を履こうとした時、譲はその中に存在するはずがない声を聞いた気がした。
「・・・ゆずるくん!」
それでも、譲は反射的に顔を上げて、その愛しい声の主を探してしまう。
「卒業おめでとう〜!」
声の主は、そう言いながら無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
紛れもなく、それは制服姿の望美。
有り得ないとか幻を見てるんじゃないかとか、現在状況を呑み込めないまま絶句で脳内のみフル回転させる譲に、望美がエヘヘと舌を出す。
「驚いた?」
その言葉で譲はやっと、これが望美の盛大なサプライズであることに思い至る。
「せんぱ・・・!」
悲鳴に近い声を上げると、周りの生徒が何人か振り返った。
慌てて口を押さえ、譲はもう片方の手で望美の腕をつかむ。
「えぇっ?」
引っ張ると、望美は目を丸くしたが反射的に靴を脱いで譲の居るスノコに上がる。
譲は裸足のまま望美を連れて、とりあえず人の居ない方へと逃げ出した。
教室のあるB棟を抜け、渡り廊下を走り抜けてC棟へ。
誰も居ない廊下でやっと望美の腕を離した時には、二人は肩で息をしていた。
「・・・なんで?」
望美が苦しそうに片目を閉じながら言う。
「・・・誰かに見つかったら大変でしょう?」
「・・・え・・・そうかな・・・?」
言いながらも、望美は考えるのを放棄して、息を整えることに専念したようだった。
譲もそれに倣いながら、逆に望美が放棄した考えを受け継ぐ。
冷静に考えてみれば、卒業生が制服姿で新卒生を迎えに来ただけのこと。
少しだけ変ではあるが『センセイに見つかったらタ〜イヘン!』というほどのことでもない。
でもやっぱり、ちょっとだけヘン。
あの場で望美と立ち話をしていたら、他の学生に好奇の目で見られる(昨年の卒業式で有名になっただけに)だろうし、青木あたりに見つかろうものなら何を言われるか分からない。
うん、そうだよな。
急に自信を取り戻して、譲は今さら大きくため息を吐いて見せた。
「・・・どうしてこんな事を・・・」
「・・・ダメだった?」
望美が口を尖らせてネクタイピンを付けたり外したりする。
甘えるように身体を傾げたりする様子は、なんかちょっとエッチだ。
よく見れば、久々に見る望美の制服姿は妖艶な感じがした。
それは、望美が1年でますます綺麗になったからなのか。
それとも、望美が男を知ったからなのか。
単に、譲のコスプレ願望の仕業か。
いやいやでもさ、やっぱ先輩がオンナになったからだと思うんですよね。
どう考えたって白いブラウスから透けちゃうようなオレンジの、もう目の覚めるようなオレンジのしかも半透けレースのブラジャーとか制服で有り得ない子だったでしょ先輩は。
「・・・でも、約束だし・・・」
望美が「ゴメンしてネ?(譲フィルターのため死語表現@さすがの猿飛)」という瞳で見上げてくる。
譲は干上がっていく喉を咳払いで誤魔化してから適当に言葉を繋いだ。
「約束って・・・」
だが、すぐにその言葉の意味に気付く。
「・・・まさか?!」
譲が目を丸くすると、望美は悪戯っぽくニッと笑って頷いた。
「第2ボタン、もらいに来たの!」
呆気にとられて譲は絶句する。
そんな、わざわざ学校まで来て。
しかも、わざわざ制服まで着て。
けれど、それは望美が卒業式の約束を、それだけ大切に思っていた証明でもあって。
卒業式当日に、しかも制服姿で、しかも学校内で、譲の手から、第2ボタンをもらいたいと、そう願っている証明であって。
じわじわと熱いものが胸に滲んでくる。
「先輩・・・」
低く感嘆を込めて呼ぶと、流石の鈍感娘も何かを感じたらしく、急に照れ臭そうな顔をした。
「・・・ん?」
「・・・まったく、あなたはどうして・・・」
俺を嬉しがらせることばかり、考えつくのか。
全てを言葉にできないまま、譲が幸せなため息を吐く。
望美は途中で終わってしまったその言葉が、譲の精一杯の喜びなのだと声音で感じたのだろう。
ふふっ、と悪戯が成功した笑みを見せて、瞳を閉じた。
キスの催促。
譲もそれに喜々として応じようとするが、はたと気付いて身体を離す。
現在の場所、C棟北側廊下窓際。
特別教室ばかりの棟で人通りも少ない上、窓の外はテニスコートが広々とよく見える絶好の譲的ストーキングポイント。
しかし、逆にこっちもバッチリよく見える諸刃の剣ポイントのため、実のところはあまり使えない場所。
見れば、テニスコートに何人かの卒業生が集まって記念写真を撮ったりしている。
譲は色っぽく「ん〜ッ」となっている望美を泣く泣く放って、並んでいる特別教室の方へ早足で歩き出した。
気付いた望美がキョトンとするが、譲の様子がおかしいので黙って見守る。
譲は、並んでいるドアの中のいくつかを開けようとしているのだ。
4つ目に手を掛けた社会科準備室のドアがガラッと大きく音を立てて開くと、譲はシメタという顔で望美を手招きした。
望美が少し躊躇いを見せてから、小走りで寄ってくる。
「こんな所で?」
不満そうな顔の望美を、譲は強引な仕草で教室に押し込むと、ピシャリとドアを閉めた。
「誰かに見られるよりは良いでしょう?」
「う、うん・・・」
望美が薄暗い部屋を見回す。
資料が焼けるのを避けるためか、準備室のカーテンはしっかりと閉じられたままだ。
譲だって、明るいお日様の下、中庭の芝生とかで清く正しくチュッとしたい。
もちろん、廊下でキスぐらいならPTAに見つかっても許してくれるだろうと思う。
でも、やっぱり他人に見られるのは恥ずかしいのだ。
いや。
多分、違う。
譲はいきなり望美を抱き締めると、驚きながらも条件反射で瞳を閉じる望美に深く口付ける。
舌を絡ませながら、早くも右手は柔らかい膨らみへ。
早速ですが、どう考えても明るい芝生でヤッちゃいけないような全く清くない行為です。
「・・・〜?!」
そんなことになると思ってなかったらしい望美が、喉の奥で声にならない声を上げる。
仕方ないじゃないですか。
受験で最近ご無沙汰のところをヘンに色っぽい制服姿でしかもオレンジのブラジャーで現れて言うこと為すことイチイチ可愛いとかそういう態度に出られたらね俺だって無理ですよPTA違反しちゃいますよ・・・!
半分キレ気味で譲は激しく唇を貪り、胸を揉みしだく。
と、望美の手が脇腹を撫でる感触。
お。
自分の行為が受け入れられる嬉しい予感と裏腹に、もの凄い握力で脇腹を鷲づかみにされた。
「ッイタタ・・・!」
脇腹を押さえて飛び退いた譲に、テニスで筋力を維持し続けている戦女神は憤然と言い放った。
「もうっ、そういうコトしに来たワケじゃないんだから!」
「・・・すみません・・・」
心身共に精力的だった色々をションボリさせて譲が項垂れると、望美は唇を尖らせたまま頬を染めて呟く。
「受験が終われば、いっぱいできるでしょ・・・?」
え。
今、何と。
イッパイデキルと仰った。
そうだ。
これからしばらくは望美のバイトさえなければ朝っぱらからイヤンとか昼間っからイヤンとかまだ明るいのにイヤンとかそういった類のタダレた生活が思いのまま。
「そうですね!いっっっぱいデキますよね!」
現金にもアッサリ立ち直った譲の血気盛んな様子にうっと怯んでから、望美は気を取り直すように腰に手を当てた。
「とにかく今は・・・」
「あ、ハイ!」
いやにハキハキと笑顔いっぱいで詰襟のホックを外し始めた譲を見て、望美は少しつまらなそうな顔をする。
「う〜ん、なんか違うなぁ・・・」
「は?」
譲が動きを止めると、望美は小さく考えてから、急に真面目な顔で言った。
「・・・有川君のこと・・・ずっと好きだったの・・・」
「え・・・」
ちょっとヘンだとは思いながらも、譲は望美の口から零れた"好き"という言葉に脊髄反射してドキッとしてしまう。
「そうそう!そんな感じ!」
望美がグラビアカメラマンかと思うような勢いでOKサインを出して、譲は我に返った。
騙されたと気付いてカッと頬が熱くなる。
そうじゃん。
望美が有川君って呼ぶなんて有り得ないし、そもそもずっと好きだったとか嘘だって分かり切ってるし。
憮然とした譲だが、望美は独りで嬉しそうだ。
「ね、譲くんも何か言って?」
「何かって・・・」
いまいち望美の意図が飲み込めない譲に、望美がくるりとニヒルな表情を作って言う。
「俺もお前が好きだぜ、だから付き合ってやるよ、とかそういう感じのセリフ!」
「どんな俺様キャラですかそれは・・・」
呆れた声を出した譲だが、望美の言いたいことは大体理解した。
譲が子供の頃から何度も何度も何万回も妄想してきたような告白シーンを、望美なりに少女マンガっぽく演じたいという話なのだろう。
もしかすると、望美って実は俺様キャラが好みだったりするのかも知れない。
そういうことなら譲にとっても悪くない提案だ。
卒業式というロマンチックなシチュエーションで望美の告白をもう一度受けて、自分の妄想通りにカッコ良く上から目線で返事しちゃっていいなんて。
年下の自分には叶わなかった夢。
本当は、壁際に望美のことを追い詰めて、俺のコトどう思ってんだよ、とか俺様なことを言っちゃえたらイイのにとか思ってたのだ。(実はその夢は上書き前の運命で叶ってます)
放課後の教室で二人きり、震える胸を抱えながら夢を語り合ったりもしたかった。
憧れの校内キスさえも、望美が卒業した日の一度きりでしかない。
せっかく叶った一生で一度の恋なのに、譲的に萌えな制服姿での甘い思い出シーンは殆ど無いに近いのだ。
薄暗い教室で二人だけ。
秘密の小さな寸劇。
これはこれで、非常に萌えます。
「えーと、それじゃあ・・・」
譲が仕方ない感じを装って咳払いをしてから真面目な顔をする。
「うん・・・」
望美が小さくコク、と唾を飲むと、少女マンガよろしく胸の前で手を組んで言った。
「私、有川君のことが好き・・・だから・・・」
望美の瞳から、急速にわざとらしさが消えていく。
「・・・だから・・・第2ボタン・・・欲しいの・・・」
切れ切れになってしまったセリフと掠れた声は、望美が演じ切れなくなってしまったことを示していた。
譲もまた、そんな望美に引き込まれている。
「・・・俺も・・・」
用意していた俺様キャラのセリフが吹っ飛んでしまい、譲は口を噤んだ。
望美の瞳が潤んで揺れる。
何か。
何か、言わないと。
「・・・俺もずっと・・・好きだった・・・ずっと前から・・・春日のこと・・・」
セリフの断片と本音をかき集めて、望美と同じように切れ切れの掠れた声で言うのがやっと。
だが、望美は幸せそうに目を伏せた。
「ありがと・・・」
耳もとでドッドッと脈打つ音を聞きながら、譲もやはり精一杯の気持ちを伝えられた達成感と幸せを噛みしめる。
何でも知っている幼馴染みで、2年以上も付き合って、お互いの身体さえも知っている関係なのに、二人がこうしてストレートに想いを伝え合った回数は、指折り数えるほどしかなくて。
慣れない。
この気持ちに、慣れることなんて、できない。
望美が伏せていた目を上げて、譲の胸の辺りを見た。
「あ・・・すみません・・・」
中途半端な俺様キャラ早くも終了。
慌ててボタンを外し、第2ボタンを取り外す。
望美が胸の前で組んでいた手を開くと、譲はその掌にそっとボタンを置いた。
「ありがと・・・」
望美が再び幸せそうに目を伏せて、ボタンを握り締める。
譲にも愛しい気持ちが大きく膨らんで。
ふいに気付く。
望美のこんな表情を、あまり見たことがない。
想いを真っ直ぐに伝える、それだけで、望美をこんなに幸せにできるなら。
譲は学ランの襟を乱したまま、胸に望美をそっと抱き寄せて、小さく囁いた。
「・・・好きです・・・先輩・・・」
「ん・・・」
望美が気持ち良さそうに瞳を閉じた。
ベッドでの反応を彷彿とさせるその声と様子に、譲の身体が微かに火照る。
それを軽いキスで誤魔化して、譲は再び囁いた。
「・・・好きだよ・・・望美・・・」
同級生バージョン。
ロマンチックに額へキス。
「・・・好きだ・・・春日・・・」
俺様バージョン。
ちょっとエッチに首筋へキス。
俺がどんな男だったとしても、絶対に、俺はあなたを好きになる。
「どれがお好みですか・・・?」
髪を撫でながら言うと、望美はまるで素肌を撫でられたかのように熱い息を吐いて譲の首に縋った。
「・・・バカ・・・」
え。
全く予想外の反応。
下手な愛撫より断然良さげ。
しかし、何がそんなにツボったのか全然分からん。
女のコってホント神秘的。
でも、ここまで効果テキメンだと、もうちょっとイジメてみたくもなる。
「ねえ望美、どれが好き?」
低く囁きながら耳たぶを唇で軽く挟むと、望美の膝からガクンと力が抜けた。
「・・・あ・・・ダメ・・・!」
すっげー。
正に腰砕け。
ぐったりと身体を預ける望美を喜々として抱き締めながら、調子に乗った譲はしばらくイジメ行為を続けた。
当然、望美の新たな弱点発見に浮かれたまま受験した翌日以降の国公立大後期日程が散々だったのは言うまでもない。



かくして、受験生活を望美に振り回され続けた譲は、奇跡的に一校だけ合格通知が来た某私立大学薬学部に入学することになる。




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