海
その日は、前触れもなくやってきた。
いや、その日は譲の誕生日でもあったから、正確にはとうに用意されていたものだったのかも知れない。
譲は昨年同様、午前中までは普通に海の日の振替休日を過ごしていた。
中学生になった譲が、もうそういうのは恥ずかしいからやめてくれと大人ぶって以来、両親は譲の誕生日を祝わない。
望美がプレゼントを持って訪ねて来るだろうと分かっている譲も、両親の前では平静を装って何も言わない。
もちろん、ソワソワと庭に出たり部屋に戻ったりしているせいで両親にバレバレなのも気付いていない。
昼過ぎに、望美が先日買ったGパンを持って部屋にやってきて。
可愛らしい祝辞と、小さなケーキと、控えめなキスを貰って。
ヨシこのまま夕飯ギリギリまでイチャつくぞ、という下劣な決意のもと譲が伸ばした手を、望美はやんわりと押し留めて言った。
「泳ぎに行かない?」
「ええっ?」
譲が目を丸くする。
今年は梅雨明けが遅れていて、海の日とは名ばかりの曇り空が、重く空を覆っている。
「もう一つのプレゼントは、海の中で渡したいの。」
「けれど・・・まだ梅雨明け前で肌寒いですから、泳いでいる人は少ないと思いますよ。」
「うん。だから、今日がいいの。」
望美の表情に、焦りのようなものが浮かんでいる。
「・・・?」
譲は首を傾げつつ、頷いた。
むきになって反対する事でもない。
何かきっと、譲には想像もつかないような望美らしい誕生日プレゼントが用意されているのだろう。
望美が寒そうにしたら、プレゼントだけ貰って早々に上がって来れば良いだけのこと。
更衣室から昨年と同じ水着に着替えて出てきた望美は、譲の予想通り既に寒そうだった。
自らの腕を抱えて砂浜へ降りる望美に、譲は開口一番で当然の心配を言葉にする。
「寒くないですか?」
「・・・うん・・・ちょっと寒いかな・・・」
そう言って、望美は目を伏せると、譲の腕へ強くしがみ付いた。
譲がギョッとする。
そんな格好で腕に密着されたら色々と支障が。
譲の脳裏で昨年のめくるめく拷問が走馬燈のように駆け抜ける。
だが、腕に伝わるスベスベとかフニフニは、思ったより譲を刺激しない。
ここ半年お触りしてきたお陰だろう、昨年に比べて耐性が上がっているのだ。
譲は心の中でグッと親指を立てた。
そして冷静になれば、望美がプレゼントらしきものを持っていないことに気付く。
「先輩・・・忘れ物、ありませんか?」
遠回しに指摘してみる。
譲にとって望美は一番大事なプレゼントを忘れちゃったりする萌えなドジッ子という半分願望も交じった評価なのだ。
だが、望美はキョトンとして首を振った。
譲は勝手にシュノーケルか何かだと思っていたのだが、どうやら水着の中に隠せるような小さいものらしい。
ちょっと待て。
水着の中に隠してるって何処に?
まさか、あんな場所やこんな場所・・・!
取り出す瞬間を見逃さないようにしなければ。
勝手に鼻息を荒くする譲に構わず、望美は譲の腕を引いて波打ち際へと誘う。
肌寒い風にあおられて、望美の首の後ろの紐が頼りなく揺れた。
昨年は、無意識のうちに伸びてしまう右手を押さえ付けるほど解きたかった禁断の紐が、今年は恐ろしい。
その気になれば、いつでも解いていいという事実が、恐ろしい。
譲は自分の右手を見つめる。
望美の喪失、痛み、快楽、未来、そして心までも。
全てがこの手に委ねられている。
責任が、重すぎる。
「・・・どうしたの?」
見つめていた右手に、望美の細い指が絡む。
望美は譲の掌を目の前に引っ張って覗き込んでから、心配そうに首を傾げた。
「いえ・・・何でもありません。」
譲が首を振って、望美の細い指をそのままつかめば、望美がくすぐったそうな顔をする。
こんな風に望美に心配してもらうだけで、湧き上がるように勇気が生まれる。
譲はしっかりと右手で望美の手を握り締めると、波を割りながら沖へと歩き出した。
海水温が高いせいか、海に入っていた方が温かいかも知れない。
隣を見れば波の衝撃を受けた望美の胸が揺れている。
うん。
せっかく来たんだ、楽しもう。
譲が空いた方の手を望美の腰に伸ばすと、望美が嬉しそうに抱き付いてきた。
昨年クラゲが出るまで拷問続きだったお陰で、その辺の呼吸はピッタリだ。
沖で譲と抱き合いながら波に揺られるのを、望美はとても気に入っているらしい。
今年も、夏が来た。
譲は両腕を望美の背中に回して、昨年よりも少しだけ密着度を高める。
1年の間に、抱き締めてキスをした回数の分だけ。
昨年とは少しだけ違う、夏が来た。
望美が瞳を閉じて、早くもキスを強請る。
昨年と違うのは、譲だけではないらしい。
波に揺られながら優しく唇を落とすと、望美は七夕を彷彿とさせる積極さで吸い付いてきた。
小さく驚いて、それから譲も望美の所作に応じる。
海の中で抱き合ってキスするのは、ロマンチックだから譲も好きだ。
けれど。
少し、おかしい。
望美がキスを止めない。
昨年は沖に行っても軽いキスを何度かするぐらいだった。
息苦しくなった譲が唇を離すと、望美は頬を上気させて苦しそうに息を継いでいた。
そこまで必死になるほど、キスがしたかったのか。
もしそうなら、そりゃもうすっごい嬉しいけど、でもちょっと申し訳ない。
愛しい神子様を欲求不満にさせてしまうようでは、恋人と星の一族を兼任している意味がない。
神子様を満足させるべく使命感に燃えて再び顔を近づけた譲に、望美は囁くように言った。
「触らないの・・・?」
譲がギョッとする。
神子様からお触りについての勅が下るなんて前代未聞。
それ以上に、こんな半裸の神子様をお触りしていいなんて全くもって思ってもみなかった。
あ、もしかしてこれが誕生日プレゼント。
神子様ご乱心に合点がいった譲は、それなら遠慮なく、とばかりに背中の掌を肩へと這わせる。
たったそれだけで、譲はそのスベスベにうっとりとなった。
神子様の素肌最高です。
ホンワカしている譲に、望美が背伸びをしてキスを強請る。
積極的な神子様最高です。
柔らかい唇を貪りながら、肩から腰へ掌を滑らせる。
脇腹に指を這わせると、望美がピク、と肩を竦めた。
感じちゃってる神子様マジ最高です。
ゾクゾク、と快感が背筋を痺れさせて、二の腕が泡立つ。
この感じは知っている。
昨年の拷問で培った経験が、これ以上はヤバいと警告している。
譲は少しだけ残念に思いつつ、それとなく身体を離した。
だが、望美はなおも抱き付いてくる。
「あ、あの・・・」
譲が腰を引くと、望美はあからさまに悲しそうな顔をして言った。
「もうお終い?」
「え、ええ・・・」
歯切れの悪い譲に望美は縋るような表情を見せる。
「どうして?」
「その・・・もう十分ですから・・・」
望美の顔に『絶・対・嘘・だ』という文字が浮かんだ。
それもそのはず。
今までのお触りで譲が十分なんて言ったことはないし、時間切れで去ってしまう望美を全然足りないという顔で見送っているのが常なのだ。
全てを貫くような望美の瞳にジッと見つめられて、譲は思わず瞳を逸らす。
見るつもりもなく視線を送った曇天の下、望美が短く鼻で息を吐く気配が鮮明に伝わってきた。
「じゃあ、これならどう・・・?」
ふいに望美が言って、譲の首から片腕を外した。
つられて見れば、望美はナント、あの禁断の紐をいとも簡単に解いていた。
「なっ・・・!」
&%#$¥@―――?!
譲が心の中で記号を疑問型で絶叫する。
はらり。
紐が解けて、スローモーションのように露わになっていく胸。
見てはいけないと思うのに、目が離せないどころか覗き込んでいる。
夢にまで見た望美の胸は、水に見え隠れしながら浮かぶ様が柔らかさと質量を思わせてそれなのにプリンとしてツンとして白くてピンクでとにかくとにかくそうじゃないだろ俺!
「・・・何してるんですか!早く仕舞って下さい!」
しっかり見たことを棚に上げ、譲は望美を叱りつけながら慌てて背を向ける。
が、行列を用いて連立方程式を解き始めた譲の背中に、二つのフンワリマシュマロ的な危険物が突きつけられた。
「せっ・・・先輩?!」
裏返った声で叫んで必死に逃げようとする譲に、望美がひしと抱きつく。
マシュマロが、腰の辺りの力を全て奪い取り、その奪った熱量を絶対に避けたいと願う場所へまとめ上げてしまう。
「・・・どうしてこんな事を・・・」
譲は抵抗を諦めて、背を向けたまま泣きそうな声で呟いた。
どうにも望美に見せられないものが海水の碧でちゃんと隠れているか、見下ろして確認する。
そんな譲に、望美もまた、泣きそうな声で呟くように言った。
「私に触るの、そんなに嫌なの・・・?」
やっばい微妙に見えるかも、と青くなっていた譲が更に青くなる。
そうだ。
自分の身体をコントロールすることに囚われて、望美がどう思っているかなんて考えもしなかった。
「そ、そういう訳じゃなくて・・・」
しどろもどろに言葉を継いでも、望美は聞く耳を持たない。
「色気がない身体だから?筋肉ばっかり付いちゃって、男みたいだから?服の上からは良くても、裸は嫌いなんでしょ?お願い、誤魔化さないで・・・はっきり言ってくれた方が、私だって気が楽なの・・・!」
うわあ、そうかあ、そう思われてたかあ、と譲は半ば呆然としながら眉間を押さえた。
大変な誤解を生んでしまった。
しかも、多分それの発端は春のラブホだ。
3ヶ月近くの間に培われた、根の深い誤解。
どう解けば。
とりあえず譲は望美に向き直る。
「そうじゃないんです、先輩。」
肩をつかんで瞳を覗き込むつもりが、視線はずいっと裸の胸へ吸い寄せられる。
スゴい。
今年の望美はあまり日焼けもしていないしもともと美白なのに胸だけ更に透き通るように白いなんて本当に神秘的で肌の質もそこだけ違うみたいにスベスベで触ったら気持ちよさそ・・・
「・・・譲くん・・・」
ハッと我に返ると、望美は瞳に涙の名残を浮かべたまま、少しだけ照れと喜びを滲ませていた。
「・・・もしかして、見たいって思ってくれてる?」
「も、もちろんです!」
譲はここぞとばかりにマジ顔で力説して大きく頷く。
「じゃあ、どうしてさっきは逃げたの?」
「っ・・・それは・・・」
どう言えばいいのだろうか。
裸を見たら身体が反応しちゃうって正直に言ったらきっと軽蔑されるし絶対に現在状況がバレるでも今回のことはきっと自分の下手な嘘や誤魔化しが重なったせいで何かオブラートに包んだ良い言い方はないだろうかそれにしても綺麗なピンク色で形も可愛い豆みたいなんだな触ってみた・・・
「・・・ちょっ・・・譲くん、真面目に聞いてる・・・?」
穴が空くほど胸を凝視されて、自分から見せた望美も流石に両腕で隠す。
「あ・・・すみません・・・」
いつの間にか頭がピンクでいっぱいになっていたことに気付いて、譲は天を仰いだ。
「う、うん・・・でも、もういいや。私の裸が嫌いなんじゃないって、何となく分かったから。」
「そ、そうです。あなたの身体が嫌いだなんて・・・とても女性らしいと思っていますし、その・・・むしろ大好きで困ってるんです。」
恥ずかしさに耐えながら愛の言葉を紡ぐのも、実は現在状況を悪化させてしまうので避けたいのだが、ここは外せない。
「そっか・・・うん、ありがと!」
望美が無邪気な笑顔になって、いきなり譲に抱き付いた。
咄嗟に対応する間もなく、下半身が圧迫される甘い刺激にゾク、と総毛立つ。
「?」
望美が固まった。
いきなり緊急事態。
譲からドッと冷や汗が吹き出す。
望美は顔を上げると、キョトンとした顔で言った。
「ポケットに何か入れてる?」
「け、携帯ですッ!」
叩き落とすように譲が即答する。
あ、そっか、と騙されかけた望美だったが、すぐにふっと口を噤んだ。
沈黙。
まるでファイナルアンサーした後にみのもんたを見守る回答者のように、譲は祈るような気持ちで望美を見る。
「携帯は・・・水に入れたら・・・壊れるよ、ね・・・?」
やっと口を開いた望美は、言いながらみるみる赤くなっていった。
バレた。
譲は泣きそうになりながら、ため息と共に口を開く。
「はい、嘘です、すみません・・・」
再び沈黙。
最後の審判を受けるつもりで望美の言葉を待つ譲に、ぽそりと小さく声が漏れる。
「え・・・っと・・・コレって・・・なんで・・・?」
全然分かってないらしい。
譲は情けない表情になっているであろうを顔を片手で覆いながら、涙声で言った。
「誰のせいだと思ってるんですか・・・」
「え?・・・ご・・・ごめん・・・え、あ、そっか、それで・・・や、どうしよ、私・・・」
ようやく自分のしでかしたことに気付いたらしい望美が、わたわたと意味もなく辺りを見回す。
そんな望美の様子に、譲の情けない気持ちは増幅する。
「で・・・コレは、どうしてくれるんですか・・・?」
望美にどうにもできない事は分かりきっているけれど。
この鈍感娘は、少し、懲らしめておかないと。
顔を半分手で覆ったまま片目だけでジットリと見つめると、望美は慌てた様子で口を開いた。
「と、とにかく・・・どうにかしなきゃだよね・・・?」
「どうにかって、どうすれば良いのか知ってるんですか・・・?」
追い打ちをかけるように言えば、望美がしょんぼりと俯く。
「ごめん・・・知らない・・・」
はあ、と譲は大きくため息を吐いて、それから半裸の望美をぎゅっと抱き締めた。
本当は、ずっと、こうしたかったのだ。
「俺がちゃんと説明するべきだったのかも知れません。多分、俺の理性は人並み外れて弱いんです・・・本当に、みっともない話ですけど・・・あなたに触れるだけで、すぐにこうなって・・・時間も場所も、あなたの気持ちも、自分の気持ちさえも関係なく、あなたが欲しくて堪らなくなる・・・」
言いながら望美の顎を持って、譲は衝動のまま口付ける。
「・・・ん・・・ふ・・・」
苦しそうに、望美が口の端から息を漏らした。
唇を離し、望美が痛がるであろうと分かった上で思うさま望美の胸をまさぐれば、案の定、望美から悲鳴に近い呻き声が漏れる。
「・・・こんな風に・・・乱暴にしたり、痛くしたり、きっと、優しくなんてできない・・・先輩に怖い思いをさせてしまうに違いないんです・・・」
「いい・・・もん・・・何度も、言ってるよ・・・譲くんなら・・・何してもいい、って・・・」
痛みに耐えながら、望美が切れ切れに言って、譲は手を止めた。
優しすぎる言葉に縋るように、再び望美を抱き締める。
「それだけじゃないんです・・・今でさえ、こんなにみっともないのに、もっと、ずっと格好悪い俺を見られてしまうかも知れない・・・あなたに嫌われてしまいそうで怖いんだ・・・」
「そんな、嫌うなんて・・・」
体重を預けるように抱き付いてくる譲を支えながら、望美は慌てたように首を振って。
何かに気付いたように口をつぐんでから、続ける。
「・・・ごめん・・・きっと私のせいだ・・・私が今までエッチだとか怒ったりしたから・・・」
「いえ!それは関係ありません!」
がばっと顔を上げて否定する譲に、望美が自嘲的な顔で首を振る。
「ううん、私ずっと、エッチなのは悪いことだって思ってた。でも、ホテルに行って以来、譲くんがエッチの話を避けるようになったでしょ?こんなこと言うの恥ずかしいけど・・・ちょっと寂しかったんだ・・・それで気付いたの。エッチしたいって思ってもらえるのは、好きって言ってもらうのとすごく似てるんだ、って。だから・・・譲くんが私とエッチしたいと思ってくれるなら、私は嬉しいよ・・・みっともないなんて思わないから・・・遠慮しないで・・・?」
黙って聞いていた譲が、ふらりと倒れ込むように望美に顔を近づける。
「・・・限界です・・・」
熱に浮かされたように呟いたまま、譲は望美の唇を貪り始めた。
望美の言葉もさることながら、恥ずかしそうに上目遣いで『遠慮しないで?』とか首を傾げられたり、もじもじと胸を押しつけられたり、下半身は圧迫され続けているし、いろいろと反則で限界なのだ。
口付けながら望美のマシュマロに手を伸ばし、今度は少し手加減をして撫でる。
「・・・ん・・・」
望美がピク、と震えて、鼻から小さく声が漏れた。
可愛い。
もっと聞きたい。
遠慮しないでって言ったのは先輩ですよね。
そう自分の中で決着をつけて唇を離す。
快感に頬を染めて可愛らしく唇を半開きにしている望美を見つめながら再びマシュマロを撫でれば、やはりピク、と震えて、望美の瞳が焦点を失う。
たまらず鎖骨に口付けて、そのままマシュマロを食べてしまおうと望美の身体を抱き上げると、望美から慌てた声が上がった。
「な、何?他の人に見えちゃうよ?」
そうだ。
溺れないでマシュマロを食べるには、マシュマロを海水から引き揚げるしかないのだが、そうすると遠くからも大事なマシュマロが見えてしまうわけで。
譲が仕方なくマシュマロを海水に隠すと、望美が申し訳なさそうに言った。
「今日は、海の中で触るだけにして?」
「・・・そうですね・・・」
譲だって、人が少ないとは言え、衆人環視の海水中という特殊な状況で初体験を迎えたいとは思わない。
「・・・このままでは海から上がれませんから、今日はここまでにしておきます。」
「うん・・・続きはいつでも・・・譲くんの都合で言ってくれていいからね。」
望美が水着を着け直しながら、なおも遠慮がちな譲に念を押すように言う。
譲は望美の後ろに回って、禁断の紐をしっかりと結ぶと、望美の肩に口付けるようにして囁いた。
「明日でも、良いですか?夏休み前の短縮授業で部活も早く終わるんで、その後に・・・こうなったらもう、何日も待てそうにない・・・」