夢の温泉旅行


有川家と春日家の面々は、和やかに談笑しながら新鮮な山海の幸に舌鼓を打っていた。
春休みを利用した合同レジャーは、望美の希望通り貸切風呂つきの温泉宿となったのだ。
父親たちは差し向かいで酒を酌み交わし、母親たちと望美は、近所の誰々が離婚するらしいとかいうえげつない話で楽しそうに盛り上がっている。
譲は黙々と膳に載っている料理を食べていた。
プロの調理は勉強になる。
舌で味付けと調理法を分析しつつ、チラチラと望美を盗み見る。
今のところ、浴衣着崩れサービスはない。
戦闘時は動きやすいスカートをはいていたものの、2年近く着物の生活をしていたのだ。
男達の目から望美を守ろうとする朔に厳しくしつけられたこともあり、望美の浴衣さばきに隙はなかった。
いや、まだ希望はある。
何も考えていない望美は、子供の頃と同様に、6人で泊まれる大部屋を予約したのだ。
親の目があるとは言え、同じ貸切風呂に入り、同じ部屋で寝るのは嬉しい。
さっき、望美が入った後の湯船で文字通り幸せに浸ったばかりだ。
・・・先輩が俺の隣で寝るとか言い出したらどうしよう、困ったな・・・
困っている割にフッと笑ってしまいそうになった譲は、慌ててご飯を口の中に詰め込んだ。
もぐもぐと口を動かしながら、もう一度望美を盗み見る。
望美が何かこぼしたのか、おしぼりで胸の辺りを拭いていた。
望美は食べ物をよくこぼす。
京でドリアを作ってあげた時も、熱々をこぼして悲鳴をあげていた。
だが、それは胸でなく、腿が受け止めていたのだ。
そう。
望美の胸は、確実に成長を遂げている。
「望美ちゃんは、急に胸がおっきくなったなあ。」
譲が茶碗と箸を落としそうになる。
譲の父がお猪口を片手に、ご満悦でセクハラ発言をしていた。
「もう・・・おじさんエッチだよ・・・」
望美が頬を染め、譲の母が隣の夫を睨む。
「あなた、望美ちゃんに嫌われるわよ。セクハラ親父は嫌だってお嫁に来てくれなくなったらどうするの?」
「それはマズイなあ。」
譲の父が言葉面だけで答えながら、望美の父のお猪口に酒を注ぐ。
酔っ払っているせいか妻の忠告に聞く耳を持っていないらしい。
「望美は鈍いからセクハラされても気付かないよ。」
望美の父がそう言って注がれた酒を飲み干す。
譲の父も酒を飲み干すと、急にニヤリと笑って言った。
「そうだ、譲がちょくちょく揉んでるんじゃないのか?」
ワッハッハッハ、と2人分の野太い笑い声が響き渡る。
聞いていないフリでカブの浅漬けをご飯に載せていた譲が、ギョッとして顔を上げる。
爆笑する父親たちと、苦笑いの母親たちに注目され、譲はブンブンと首を振った。
「も、揉んでません!父さん、先輩に失礼な事を言うの、やめろよ!」
慌てて父親を叱り付ける譲を見て、望美の母が、感服の声を出す。
「譲くんは、ホントに真面目だよねえ。望美は幸せ者だわ。」
「えっ?」
父親を睨んでいた譲が、突然の褒め言葉に目を丸くする。
「成績優秀、容姿端麗、おまけにお料理上手。絶対いい旦那さんになるよ。ねえ、パパ?」
「ん?そうだなあ。」
望美の父が手酌でお猪口に酒を注ぎながら、興味なさそうに言った。
まだまだ先のことと思っているのだ。
意外にも嬉しい方向へ発展した話題に、譲は頬を染めながら望美を盗み見る。
望美は最後の刺身を食べながら幸せそうに頷いていた。
譲が複雑な顔をする。
人生の重要なターニングポイントについて望美がどう思っているのか、譲としてはものすごく気になる。
だが、望美の様子は、刺身が美味しくて幸せなのか、譲が恋人で幸せなのか、かなり微妙だ。
譲の母親が負けじと熱弁を振るう。
「やだ、そんな事ないわよ。譲はちょっと頼りないところがあるから、望美ちゃんみたいにしっかりした姉さん女房にビシバシやってもらわないと。ね、譲。」
そういうプレイもいいな、などと一瞬思った譲だったが、ここで嬉しげに叩いて欲しいと言うのもおかしい気がする。
譲は複雑な顔のまま、とりあえず頷くことにした。
「・・・うん。」
「ほら、譲くんが嫌な顔してるよ。」
笑いながら望美の母が言うと、望美の父も口を開いた。
「望美、まさかもう尻に敷いてるんじゃないだろうな?」
「ええっ?そんなことない・・・と思うけど・・・」
望美が自信なさそうに首を傾げると、望美の母が眉を顰めた。
「あんたみたいなガサツな子には勿体無いような彼氏なんだから、大事にしなさいよ。」
「いいんだよ、譲は望美ちゃんの可愛いお尻に敷かれて嬉しがってるんだから。」
譲の父がニヤニヤしながら言って、望美の父のお猪口に酒を注ぐ。
「おっ、悪いね。」
望美の父が嬉しそうにお猪口を煽った。
部屋の中に小さな沈黙が降りる。
ここは先ほどに引き続き譲が父を叱るべきところだったのだが、譲は俯いて残ったお吸い物をかき回していた。
短いスカートからチラリと見えたお尻。
少しきつめのGパンから形が浮き出たお尻。
脳内から自動的に検索されてしまった望美の可愛いお尻映像を、頭から追い出そうと必死だったのだ。
頬を染めて飲むでも食べるでもなくお吸い物をかき回す譲。
望美以外の大人たちから見れば、それは完璧な肯定だ。
「・・・譲、少しは否定しないと、望美ちゃんにエッチだって嫌われるぞ。」
譲の父があっけらかんと言ったのを聞いて、やっと譲は我に返った。
「え・・・」
慌てて望美を見ると、望美が驚いて首を振る。
「だ、大丈夫だよ・・・譲くんはエッチだけど、嫌いになったりしないから。」
「・・・!」
譲が一瞬で真っ赤になった。
大人たちが弾かれたように爆笑する。
「え?私、何か変なこと言った?」
望美が不安そうに隣の母親を見る。
譲はお吸い物を一気飲みしてお膳を空にすると、席を立った。
「・・・ごちそうさま・・・少し涼んできます。」
照れちゃって、などという声に、また大人たちがどっと沸く。
それを背中に聞きながら、譲は部屋をあとにした。


小さいが趣味の良い庭園に出て、譲は美しく刈られたサツキを眺めていた。
・・・いい庭師が入っている
庭の手入れの経験がある譲には、その庭がいかに大切にされているかが分かる。
剪定の曲線も美しく、女性的で、望美の胸を連想させる。
『譲がちょくちょく揉んでるんじゃないのか?』
父親の言葉がよみがえる。
揉むと大きくなるとでも言うのだろうか。
譲に揉んだ覚えはない。
・・・まさか、自分で?
望美が快楽に耐えるような表情を浮かべて自分の胸を揉んでいるビジュアルが浮かび、譲は思わず呟いた。
「・・・イイな。」
「何がいいの?あ、この植木?」
望美の声がして、譲が飛び上がる。
「せ、先輩、いつからここに?」
「今、来たんだよ。はい、寒いでしょ?」
望美は浴衣の上に着る上着を譲に差し出した。
3月末とは言え、まだ寒い。
庭園へ涼みに来る温泉客など居るはずもなく、庭には譲と望美だけだった。
「・・・すみません。」
譲が上着を受け取り羽織るのを、望美が不安そうに見上げる。
「譲くん、怒っちゃった?」
「え?・・・あ、いえ。」
譲が苦笑する。
「でも、お母さんが、みんなの前で譲くんがエッチだって言っちゃ可愛そうでしょって。」
譲が苦笑を深くする。
その失敗に自分で気付けず、母親に言われて来るところが、望美らしい。
だが、譲は望美に対して怒ってなどいなかった。
「確かに恥ずかしかったから出てきたんですけど・・・先輩の言葉は逆に嬉しかったぐらいで・・・」
「エッチだって言われて嬉しいの?」
「いえ、その・・・嫌いになったりしないって言ってもらえて・・・」
大人たちは誤解して大笑いしたが、譲が真っ赤になったのは、その言葉に対してだったのだ。
望美が頬を染める。
「・・・そっか・・・うん、学年末の時は少し驚いたけど、でも、嫌いになったりしないよ。」
「・・・っ・・・あれは・・・そういう夢を見てただけで・・・だけどその夢みたいに無理やりしようとかいつも思ってるわけじゃなくて、それに無理やりする夢ばっかりじゃなくてちゃんと優しくする夢とか途中で邪魔が入る夢とかも見てるから星の一族の予知夢じゃない・・・みたい・・・で・・・」
ザクザクと墓穴を掘っていることにやっと気付いた譲が、手で口を覆って黙り込む。
「・・・そんな夢ばっかり見てるんだ・・・なんか無理やりとか怖いこと言ってるし・・・男の子ってみんなそうなの?」
望美が眉を寄せて斜め下から譲を見上げる。
譲は名誉回復のために、慌てて主張する。
「男はみんなこうです!絶対、俺だけじゃないです!」
望美は内心可笑しくて仕方がなかったが、首をかしげながら小さな池の方へ歩き出す。
「どうかなあ・・・」
望美の言葉を聞いて、譲は慌ててその背中を追いかける。
「先輩、信じてください。」
望美が急に振り向いて譲の胸に飛び込むと、クスクス笑う。
「信じてるよ。」
譲がその言葉にほっと息をつくと、望美が譲の胸に顔を埋めた。
甘い痺れに身を任せながら、譲は望美の肩を軽く抱き寄せる。
身長差のせいで、上手く抱き締められない。
望美の髪から、いつもと違うシャンプーの香りが立ち上る。
自分の髪と同じ香り。
そんな小さなことに、女々しく喜んでしまう。
毎晩こんな風に二人から同じ香りがする生活ができたら。
先ほどの親たちの会話。
あの様子なら、お嬢さんを下さいイベントはクリアしたも同然だ。
慎ましく優等生をやってきたことは無駄ではなかった。
だが、望美は、どう思っているのだろうか。
譲は池を見ながら、独り言を呟くように言った。
「これからもずっと、俺のこと、嫌いにならないでくださいね。」
「嫌いになるわけないよ。こんなに好きだもの。」
望美が言いながら顔を上げる。
譲の意図は伝わっていないようだが、譲はその言葉で十分だった。
身体を屈めて望美に顔を近づける。
望美もそれに気付いて、背伸びをする。
短いキスのあと、望美は俯いて、小さな声で言った。
「いつか、二人きりでまたここに来ようね。」
譲の心臓が跳ね上がる。
聞き間違いでなければ、今度こそ、貸切風呂でヤりたい放題のお誘いだ。
譲の返事がないので、望美が顔を上げる。
「嫌だった?」
「いえ!」
譲は慌てて首を振り、ゴクリと唾を飲むと、慎重に言った。
「二人きりって、先輩と俺ですよね?」
「うん。他に誰がいるの?」
「ここに来るって、日帰りとかじゃないですよね?」
「え?・・・うん、泊まりだよ・・・」
望美が頬を染める。
譲の頭にも、急速に血が上っていく。
「それってあの・・・一緒に風呂に入ったり二人で一つの布団に入ったり俺が先輩の中に・・・」
「もう、そんな恥ずかしいこといちいち言わなくても分かるでしょ?」
譲の上ずった声を望美が真っ赤になって遮ると、身を翻し、譲から離れようとする。
・・・聞き間違いじゃなかった!
舞い上がった譲は離れようとする望美の背中を追いかけ、背後から腕の中に囲い込んだ。
「・・・先輩・・・嬉しいです・・・」
言いながら、自分の右手がやけに柔らかいものをつかんでいる感触に気付く。
望美との位置関係から、譲は手につかんだものが何であるか、瞬時に理解した。
途端、頭が真っ白になり、全神経が手だけに集中する。
掌にあたる小さな突起の感触。
・・・これはもしや巷で噂のノーブラ!
本能による脊髄反射で力がこもってしまった右手に、ますます柔らかさが伝わってくる。
「・・・や・・・」
望美から小さく声が洩れて、遅まきながら譲の理性が目を覚ます。
「すっ、すみません!」
譲が慌てて離れると、望美が背中を向けて浴衣を直しながら言った。
「今日はダメだよ・・・みんなも居るし・・・」
「あ、当たり前です!今のは不可抗力で仕方なく・・・」
空しい言い訳をする譲に、望美が顔だけ振り向いて言った。
「・・・譲くん、手・・・」
見ると、譲の右手は望美の胸をつかんだ形のまま保存されていた。
「・・・・・・」
「戻ろう?風邪引いちゃうよ。」
「あの、でも本当に今のは偶然で・・・」
「エッチな譲くんは嫌いじゃないけど、言い訳する譲くんは嫌いだな。」
それを聞いた譲が慌てて挙手をする。
「はい!俺はエッチなので最初から先輩の胸を触ろうとしてました!」
望美が満足そうに頷く。
譲はガックリと項垂れると、子供のように望美に手を引かれて庭園をあとにした。




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