夢の天体観測


「じゃ、行って来ます!」
「譲くん、望美をよろしくね。」
「はい。明日の朝6時には、責任持って送り届けます。」
「そんなに畏まらなくていいよ。譲くんが付いてるならこっちは安心だから、何時になったっていいからね。」
「はあ・・・」
「行ってらっしゃい。」
望美の母が、安心しきった笑顔で手を振る。
望美もニコニコと手を振り返す。
夜の11時。
高校生の男女が二人で出かけるには遅すぎる時間帯であるにもかかわらず、緊張しているのは譲だけで。
望美もその母も、全く何の心配もしている様子はない。
「流星群かあ、楽しみ〜!」
望美がはしゃいだ様子で先に立って歩き出す。
デイパックを肩にかけた譲も、微かにため息をつきながらその隣に並ぶ。
数日前、流星群の天体観測会に行くという話をしたら、望美が瞳を輝かせて一緒に行きたいと言い出した。
譲は渋い顔でこう言った。
『夜通しのイベントですから、やめた方がいいですよ。』
望美と二人、平気な顔をして朝帰りできるほど、譲は世間ずれしていない。
もちろん、真面目に流星群を観測するつもりだし、望美をどうこうしようという気は全くない。
だが、何かの拍子に二人が激しく燃え上がってしまったら、18歳未満が楽しんではいけない夜通しのイベントに雪崩れ込んでしまう危険性もあるわけで。
『なんで?』
望美はキョトンとした。
『危険ですから・・・イロイロと・・・』
言葉を濁した譲に、望美はニッコリと笑って言った。
『譲くんが一緒なら、大丈夫だよ。』
だからそれが危ないんだ、と苛立ちながらも、譲は努めて冷静に言った。
『とにかく、ご両親に行っても良いか訊いてみてください。』
きっとダメだと言われるに違いない。
可愛い娘から恋人と夜通しのイベントに行きたいと言われた時、両親がどう思うかぐらい譲にだって想像がつく。
しかし、そんな譲の想像をよそに、望美はあっさりとOKを取り付けてきた。
もともと、望美の親の有川兄弟に対する信頼は絶大で、昔から平気で際どい事をさせてきた。
望美が男女の機微に無頓着なのも、有川兄弟を男と認識できなかったのも、全てそのせいだと言っても過言ではない。
どちらにしても、信頼を得ているのは喜ぶべき事。
だが。
恋人となった今も、男として認識されていない状態が続いている事を、譲は少しだけ、不満に思っている。


先ほどまで大騒ぎをしていた望美の口数が減ってきた。
極大時間を過ぎ、少しずつ流星の数も減っている。
「寒くないですか?」
譲が水筒から麦茶を注いで、望美に渡す。
「ありがと。真夏でも、夜中は冷え込むね。」
「ええ。」
譲は短く答えると、デイパックから自分の長袖シャツを出して望美の肩にかけた。
「上着を着るほど寒くないよ。」
そう言って、望美がシャツを返そうとするのを、譲が必死に押し留める。
「お願いします、羽織るだけでも。」
「ん?・・・うん。」
あまりにも必死な様子に、望美が不思議そうな顔をしながらも頷く。
望美はキャミソールにショートパンツといういでたちだ。
夏らしく活動的でありながら、めちゃめちゃ可愛い。
譲は前から望美のキャミソール姿が大好きだった。
望美のフェミニンな雰囲気にキャミソールはよく似合う。
そして、肩紐の下からブラジャーの肩紐が見えるのも、すごくラッキーな感じがする。
今日のブラジャーは紺だ。
だが、そんな浮かれた気分も、他の男達の痛いほどの視線を浴びて急速に醒めた。
・・・俺のブラジャーをジロジロと・・・!
いつ望美のブラジャーが譲のものになったのかは不明だし、暗い中、望美のブラジャーまで見えている男は少ないはずだが、譲はもう「俺だけの紺ブラ」を隠したい一心なのだ。
望美が大人しくシャツを羽織ったのを見て、譲が安堵する。
望美を見ている男達を牽制するため周りを見回すと、天文オタクと思われる一団と目が合った。
ごついカメラや観測機器でバリケードを作っているかのようなその一団は、さっきからずっとこちらばかり見ている。
確かに、望美は目立っていた。
明るい流星が出現するたび、天体観測会には場違いな黄色い声を上げていたのだ。
真面目に流星群を観測しようとしている彼らには、そうとう邪魔だったに違いない。
そして、その邪魔な女が夜目にも美人なだけに、痛い視線は自然に譲へ注がれる。
俺達の神聖な領域に女を連れ込みやがって。
一眼レフも持ってないくせに。
男ならラムカ観測ぐらいしろよ。
何か理不尽な感じのするプレッシャーが生暖かい風に乗って流れてくる。
譲は気まずくデイパックを探ると、ビニールシートを出した。
「先輩、そろそろ座りませんか。」
「うん。少し疲れたから、座りたいなあって思ってたところなの。」
望美が水筒のカップを譲に返しながら微笑む。
譲がそれを受け取って水筒に蓋をしながら場所を探す。
天体観測会とは言っても、中学校の校庭が開放され、学校の備品である天体望遠鏡が好きな時に覗けるよう設置されているだけで、過ごし方は参加者の自由だ。
極大時間を過ぎたため、家族連れなどは帰って行き、ビニールシートを敷いて寝転がっている参加者が多くなっている。
譲は天文オタクの集団から少し離れた芝生にビニールシートを敷いて、望美を座らせた。
「はあ〜!」
望美が満足げな声を上げて、ぱたりとシートに寝転がる。
譲も遠慮がちにその隣へ腰掛けると、麦茶を飲み始めた。
「ひと口だけちょうだい!」
いきなり望美が起き上がって譲からカップを奪う。
そして、ひと口飲んでそのまま返し、また寝転がる。
されるままになっていた譲が、返されたカップへ視線を落とした。
望美が口をつけたばかりの、飲みかけの麦茶。
気恥ずかしくて、口をつけるのが躊躇われる。
望美は、何とも思っていないのだろうか。
ちらりと望美を見ると、望美は吸い込まれるように星空を見ていた。
何とも思っていないのだ。
譲が小さく落胆する。
確かに、キスを経験済みの二人にとって、こんな間接キスなど、取るに足らないことなのかも知れない。
でも、譲にとっては、立派に甘い出来事で。
こんな風にスルーされて、独りでドキドキしているのは、少しだけ、悔しい。
自棄になったように、カップを煽って一気に飲み干す。
ため息をつきながら水筒に蓋をしていると、望美の囁くような声がした。
「譲くん、こうしてると、星空に浮かんでるみたいだね。」
「そうですね。」
譲もつられて小さな声で答える。
幾度か1人で天体観測会に参加しているので、寝転がった時に星空がどう見えるかは知っている。
「譲くんも寝転がったら?」
「え・・・」
譲が戸惑った声を出して、ビニールシートを見やる。
望美の隣に寝る、たったそれだけのことに罪悪感を抱いてしまう。
「よいしょ・・・」
望美が起き上がると、譲が隣に寝やすいように位置を変える。
「ほら、ね、これなら譲くんも寝られるでしょ?」
望美は、譲の躊躇をビニールシートが狭いせいだと誤解したのだ。
「え、ええ・・・」
望美がぱたりとシートに寝転がって、促すように譲を見る。
「寝ないの?」
ひとつのベッドで一緒に寝ようと誘われているような錯覚に、譲の頬が染まる。
だが、多分、望美は何とも思っていない。
譲が再び小さく落胆して、諦めるように望美の隣に寝転がった。
視界一面の星空。
だが、隣の望美が気になって落ち着かない。
望美に触れてもいないのに、望美が居る右側だけが温かいような気がする。
ふいに、望美の手が、譲の手をつかんだ。
心臓が跳ねる。
「先輩・・・?」
冷静を装って横を見ると、望美も譲を見ていた。
暗い中、望美の瞳だけが星のように光っている。
「あのね、宇宙の中に独りきりみたいな気持ちになるの。だから・・・」
望美が瞳を泳がせてから、囁くように続けた。
「・・・もう少し、そばに行ってもいい?」
譲は返す言葉を探しながら、触れている手の指の間におずおずと指を差し込み、そのまま握り締める。
組まれた掌を肯定と受け取った望美が、譲の言葉を待たずに身体をずらした。
譲と身体をくっつけてから、望美が安心したように再び空を見上げる。
譲もつられて空を見上げる。
「宇宙の中に、二人きりで居るみたい・・・」
望美の囁くような声。
そのまま、望美は黙ってしまった。
暖かい沈黙。
心地良い温もり。
望美に触れている場所だけに神経が集中して、周りの参加者の話し声などが遠くなっていく。
流星が、大きく、小さく、流れ続けて。
宇宙に二人きりで浮いている感覚を、望美と共有する。
自分達がとても小さな存在に思える瞬間。
昨年まで、独りでここに来ていた時は、こうして寝転がるたび打ちひしがれていた。
圧倒的な孤独を感じさせられて。
寂しさに叫び出しそうになって。
なぜ、望美がそばに居ないのか。
なぜ、望美は自分に振り向いてくれないのか。
そんな事を思っては、流星に望美を手に入れたいと願って。
そして、あくまで他力本願な自分に打ちひしがれていた。
ふいに瞳の奥が熱くなる。
もう、独りではないのだ。
望美を守り抜き、生き抜いて。
望美と共に、自力で、幸せを手に入れたのだ。
涙で星が滲む。
この広い宇宙。
数え切れないほどの星と、人と、運命の中で。
誰よりも好きな人と。
好きだという気持ちを共有している。
奇跡。
瞳を潤ませたまま、譲は掠れた声で言った。
「先輩・・・好きです。」
望美の返事を待たず、譲は、今溢れている気持ちを口に出す。
「この広い宇宙の中で、貴女だけを・・・今までも、これからも、何があっても・・・貴女以外の人を好きになることなんて、できない・・・」
言いながら、横を見る。
望美は安らかに瞳を閉じていた。
「・・・先輩?」
反応がない。
起き上がって覗き込んでも、望美は瞳を閉じたまま、安らかな息を吐いている。
・・・寝てるのか・・・
譲がガックリと項垂れる。
譲にしては珍しく、照れずに言えた渾身の告白だったのに。
気を取り直して、望美の肩を軽く揺する。
「先輩、起きて下さい。こんな所で寝たら風邪を引きますよ。」
「・・・ん・・・?」
望美が辛そうに瞳を開ける。
「眠いですか?」
「うん・・・」
望美が疲れた顔で頷く。
夜更かしに慣れていない上に、ついさっきまで流星一つで飛び上がらんばかりの大騒ぎをしていたのだ。
「眠いなら、帰りましょうか。」
「え・・・大丈夫・・・譲くん、最後まで居たいでしょ・・・?」
望美が目を擦りながら起き上がる。
「いえ、極大時間も過ぎましたし、あとは寝転がって夜明けを待つだけですから。」
「そう・・・?」
「また来年もありますし。」
「・・・ん・・・ごめんね・・・」
望美が申し訳なさそうに言うと、シャツを譲に返しながら立ち上がる。
譲は手早くビニールシートを畳んで、荷物をデイパックにしまった。
望美を見れば、瞳を半開きにして立ったままフラフラと船を漕いでいる。
譲が苦笑を浮かべる。
年上とはとても思えない、子供のような仕草。
だが、そんなところがたまらなく可愛くて、つい世話を焼いてしまいたくなるのも事実。
譲はデイパックを手に持ったまま、望美の前にしゃがんだ。
「先輩、おぶって行きますよ、乗ってください。」
「・・・うん・・・」
望美が崩れるように譲の背中に身体を預けた。


寝静まった住宅街を、譲は黙々と歩く。
こめかみを汗が流れ落ちる。
身体が熱い。
息が上がる。
背中にある望美の身体に、全身が支配されているような感覚。
軽い望美を背負って中学校から歩いて帰ること自体は、たいした労力ではない。
だが譲は、不用意におぶって帰ると提案してしまったことを、後悔していた。
首筋にかかる寝息。
背中に押し付けられる膨らみ。
指先が食い込む柔らかい太腿。
長い髪から香るシャンプーの匂い。
暗さと静けさの中、全ての感覚が鮮明で。
身体が火照って。
熱い。
「先輩。」
望美の家の玄関の前で、譲は小さく声をかけた。
「・・・ん・・・?」
「着きましたよ。家の鍵を貸してください。」
「・・・カギ?・・・ない・・・」
「は?」
「持ってないよ・・・?」
望美の寝惚けた声が甘く耳もとで囁く。
その声に背筋が痺れるのを感じながら、譲は努めて冷静な声を出す。
「どうやって家に帰るつもりだったんですか?」
「ピンポーンってやれば、お母さんが出てくるから・・・」
「・・・・・・」
譲が絶句する。
現在、午前3時半。
いくらお隣同士とは言え、そんな時間に春日家をピンポンできるほどの勇気を、譲は持っていない。
「お母さん達が起きるまで、譲くんの家に居てもいい・・・?」
望美が唯一でしかない分かり切った選択肢を提案する。
譲は黙って引き返すと、隣の自宅へ向かった。
玄関を上がり、望美のサンダルを脱がせ、階段を上がって客間のドアを開ける。
だが、そこに布団の用意などしてあるはずもない。
しばらく躊躇してから、自分の部屋のドアを開け、電気をつける。
ベッドに腰をかけ、譲はそっと望美を降ろした。
「・・・ごめんね・・・」
望美がとさ、とベッドに横たわる。
「今、客間に布団を用意して来ますから、少し待っていてください。」
言いながら立ち上がろうとした譲の腕を、望美の手がつかんだ。
「いいよ、悪いから・・・」
「え・・・?」
じゃあどうすれば、といった顔の譲をよそに、望美はさっきビニールシートの上でしたように、身体をずらす。
譲のベッドに、人一人分の隙間が開いた。
ある予感に、譲が瞳を見開く。
「これなら譲くんも寝られる・・・?」
恐れていた予想通りの言葉は、譲の予想よりもずっと甘く、色っぽく、望美の口から囁かれた。
どういうつもりなのか。
望美の真意を計りかねて、譲は黙ったまま望美を見つめた。
眠さからか、望美はトロンとした顔で譲を見つめ返している。
「寝ないの・・・?」
そう言って、望美は耐えられないように瞳を閉じた。
沈黙が降りる。
どこまでも無防備な、望美の寝顔。
望美を見つめ続けていた譲が、身体の強張りを解く。
何とも思っていないのだ。
譲と同じベッドで眠ることなど、望美にとっては子供の頃と同じ、取るに足らない出来事で。
分かっていないのだ。
譲が今、どれだけ必死に衝動を抑えているかなんて。
「襲われても知りませんよ・・・」
ため息混じりに、譲が独りごちる。
「・・・ぅん?・・・譲くんはそんなことしないよ・・・優しいもの・・・」
眠そうな声で言って、望美が瞳を閉じたまま幸せそうに笑む。
独り言を聞かれたことにギクリとしながらも、譲は望美の真意を知る。
彼女は分かっているのだ。
一つのベッドで眠ることの危険も。
譲が男であることも。
そこにあるのは、絶大なる信頼。
望美に想われたいが故に向けてきた優しさへの、信頼。
譲にとっては薄っぺらい、いつでも破り捨てられるような、うわべの優しさ。
そんなものを根拠に、望美は自分を信頼している。
そして、そんなもののせいで、無防備な望美の姿が残酷な形で譲の目の前に差し出されている。
譲の中に、小さく怒りが込み上げる。
・・・俺はそんなに優しい男じゃない
譲の視線が、寝ている望美の身体を鋭く舐める。
寝息を漏らす唇。
キャミソールの肩紐がしどけなくずれ落ちた白い肩。
柔らかく上下する胸。
ショートパンツから伸びる太腿。
触れたい。
ベッドに腰掛けたまま、譲は望美の唇に手を伸ばす。
触れる直前で思い直して、ベッドに広がる長い髪をひと筋つまむ。
細い髪を指先で玩びながら、迷う。
このまま抱き締めたら、嫌がるだろうか。
このまま抱き締めたら、止まれなくなるだろうか。
止まれなくなったら、嫌がっているものを無理やりできてしまうものなのだろうか。
譲の瞳が迫力を帯びる。
望美の髪から手を離し、投げ出された腕へと手を伸ばす。
ずれ落ちているキャミソールの肩紐。
それをつかんで脱がせれば、いとも簡単に紺のブラジャーが露になるのだ。
譲が震える手でキャミソールの肩紐をつまむ。
そのまましばらく固まって。
それから譲は、肩紐をゆっくりと望美の肩にかけ直し、手を離した。
できない。
打ちひしがれた顔で、望美の寝顔を見つめる。
どんなに望美を抱きたくても。
好きだから。
この無防備さがどんなに残酷であろうと、望美の信頼を裏切ることなど、できない。
望美に触れようとした手を強く握り締めて、譲は立ち上がった。
タオルケットを望美の身体にかける。
望美は身じろぎもしない。
熟睡しているのだろう。
譲は望美に背を向けて、部屋を出ようと数歩歩いてから立ち止まる。
顔だけ振り向く。
じっと望美の寝顔を見つめた後、譲は踵を返してベッドサイドへ戻った。
望美を起こさないよう、静かに跪いて、望美の唇にそっと口付ける。
望美の反応はない。
再び望美の寝顔を見つめる譲の胸に、切なさが込み上げる。
こんな風にしか望美に触れられない自分が嫌になる。
泣きそうな顔で再び立ち上がり、足早に部屋のドアへ向かう。
振り向かずに電気を消して、譲は静かに部屋を出て行った。


譲は、自分の部屋の前で腕組みをして考え込んでいた。
もうすぐ昼になるのに、望美が起きて来ないのだ。
異世界に居た頃と同じように、そ知らぬふりで起こせば良いだけのこと。
だが、恋人同士となり、半年以上が経った今、そ知らぬふりなどかえってワザとらしい。
あのあと、譲は結局、眠れないままリビングのソファでゴロゴロしていた。
ゴルフコンペに出かける父親と休日出勤に出る母親が起きてくると、ソファからむくりと起き上がった譲を見て、何があったのか即座に理解し、吹き出した。
笑い事じゃない、と譲が言うと、まあそうだろうな、と父親だけが言った。
それから父親は、出かける際、譲に耳打ちした。
誰も居ないからって襲うなよ、と。
それから譲はもっと眠れなくなってしまい、仕方なく台所に立った。
望美が起きてきたら一緒に食べようとオムレツの下ごしらえをした。
起きて来ないので、サラダの下ごしらえもした。
まだ起きて来ないので、ジャガイモで冷製スープを作って冷蔵庫に入れた。
すごく時間がかかったのにまだ起きて来ないので、フローズンヨーグルトを作って冷凍庫に入れた。
ブランチのつもりがやけに豪華になってしまったことに気付いて、譲はやっと望美を起こすことにしたのだ。
早くしないとオムレツが固くなってしまう。
譲は意を決して自分の部屋のドアを開けた。
とたん、熱い空気が譲を包む。
・・・やっぱり!
この炎天下、クーラーもつけずに閉め切った譲の部屋は、熱帯と化していた。
こんな中で昼過ぎまで寝かせていたら、熱中症になってしまう。
譲は慌ててクーラーのスイッチを入れると、ベッドで寝ている望美に駆け寄る。
だが、望美に声をかける前に、何かを踏んだのに気付いた。
何とはなしに、それを拾い上げる。
「ブ・・・」
叫びそうになって、慌てて口を噤む。
譲が拾ったもの、それは紺のブラジャーだったのだ。
足もとを見ると、キャミソールとショートパンツが脱ぎ捨てられていた。
と、いうことは。
譲がブラジャーを握り締めたまま恐る恐る望美を見る。
暑いのだろう、バンザイ状に腕を上げ、眠る望美の苦悶の表情。
タオルケットから覗く裸の胸もと。
汗で首筋や胸もとに張り付いている長い髪。
何と言うかもう、身悶えするほど全てがいやらしい。
これで彼女に譲を誘う気は全くないのだから、泣きたくなる。
譲は渇いた喉を唾で無理やり潤すと、必死で声を出した。
「先輩・・・起きて下さい。」
情けないほど上ずった声。
「ん・・・譲・・・くん?」
眉間にしわを寄せて目を閉じたまま、望美が寝惚けた声を上げる。
望美の寝惚け声は色っぽくて大好きだが、今だけは耳を塞ぎたい。
譲は眉間にしわを寄せて天を仰いでから、冷静を装って言葉を繋ぐ。
「暑いでしょう、早く起きて下さい。何か飲まないと熱中症に・・・」
「・・・う・・・ん・・・暑い・・・」
望美が苦しげに唸って寝返りを打ちながらタオルケットを剥いだ。
「・・・!」
パンティ一丁の背姿が露になり、真っ赤になった譲が目を離せないまま身体だけ凄まじい勢いで後ずさる。
譲の背中が勢いよく当たって、本棚が大きく揺れる。
そのせいで零れ落ちた本が、譲の頭に次々と当たってからバサバサと落ちた。
「〜〜〜!」
譲が頭を抱えて呻く。
盛大な物音とただならぬ雰囲気に、望美がやっと目を覚ました。
「・・・?」
振り向いて、望美が見たものは。
本棚に背中を預けてブラジャーを被っている譲の姿。
望美はがばっと起き上がると、タオルケットで身体を隠しながら叫んだ。
「何やってるの?!エッチ!ヘンタイっ!」
「なっ・・・俺は何も・・・」
言いながら顔を上げた譲は、目の前に紺色の何かが垂れ下がっているのに気付いた。
そして、自分がずっとブラジャーを握り締めたままだったことにやっと思い至る。
慌ててそれを引き剥がしても、もう遅く。
沸騰しそうだった頭から、急激に血が引いていく。
横目で伺うように見れば、怒りと恥ずかしさから真っ赤になって譲を睨む望美と目が合う。
「・・・あの・・・誤解で・・・す・・・」
俺の部屋でパンツ一丁になって寝てる方が悪いだろ、と思いつつも、譲には青い顔をして釈明するしか術がない。
「誤解だって言うなら、早くそれを返して!」
「はっ、はい!」
当然と言えば当然な望美の言葉に、譲は気をつけの姿勢で返事をした。




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