もう一度愛して -me-


冷房の利いた部屋の中で。
目を閉じて、ベッドにうつ伏せになって。
望美は、洗濯の匂いに混じった、譲の匂いを嗅いでいた。
ふいに、ノックと、ドアが開く音。
気だるさと甘えから、目を閉じたままでいれば。
「・・・寝てしまったのか・・・」
困ったように呟く優しい声がして。
好きだ、と改めて思う。
譲の匂いも、声も、自分の部屋なのにノックしてから入ってくるところも。
望美のために飲み物を持ってきてくれたはずなのに、望美を起こそうとする気配はなくて。
そんな静かな優しさも。
好きだ、と思う。
グラスの中で氷が鳴る音。
ミントの香り。
気だるいまま目を開くと、譲が机の前でグラスを仰いでいた。
薄い琥珀色の飲み物が、みるみる吸い込まれていく。
喉が渇いていたのだろう。
喉仏が、小気味良く上下している。
引き締まった身体が、羽織っただけのシャツから覗いている。
ちょっと硬くて、でも温かい胸の感触が蘇る。
男の人だなあ、と思う。
昨日気付いたばかりだが、譲はこういう時だけ、少しだらしない姿を望美に見せる。
譲はもともと、そんな格好で家の中をうろつくような男の子ではない。
どんなに暑い日だって、譲のシャツのボタンはきちんと留まっていた。
譲がどうしてこういう時だけシャツのボタンを留めないのか、理由は分からないけれど。
望美は、譲が自分だけに見せる、そんな男っぽいだらしなさが好きだ。
譲が男だと、改めて感じるから。
子供の頃は、裸にならないと分からないくらい、同じニンゲンだったような気がする。
だけど。
いつの間にか、背が伸びて、逞しくなって。
服を着ていても、明らかに違うと分かるようになってしまった。
男の子だと、分かるようになってしまった。
今思えば、その頃から、譲は望美に対してよそよそしくなったような気がする。
多分、譲はその頃に、自分が男であることを知ったのだ。
だが、あの異世界で譲への想いを自覚してからも、望美は本当の意味で理解してはいなかった。
譲が男であることを。
恋人となってからもずっと、望美の中で、譲は男の子でしかなかった。
最近、やっと分かった。
汗の量も。
肌の熱さも。
身体の造りも。
感じる場所も。
違うと、知った。
譲が男だということを、知った。
ふいに、吐息が、声が、蘇る。
譲を男だと感じるたび、身体の真ん中辺りが、ジンと火照る。
この感覚も、最近知った。
気持ち良さそうに息をつきながら、譲が空になったグラスを机の上に置く。
何気なく望美に目を向けた途端、驚きに目を丸くして。
その様子は、やっぱり男の子かも、と望美に思わせる。
「先輩、起きていたんですか?」
「うん。」
「起きていたなら、声をかけてくださいよ・・・」
言いながら、譲は飲み物が入っている方のグラスを持って望美のもとに歩み寄る。
「譲くんを観察してたの。」
「俺を?・・・夏休みの自由研究ですか?」
譲が悪戯っぽい笑みを見せて言った。
こんな風に、冗談で返せるようになったのは、いつからだろうか。
少し前までの譲は、望美のそんな軽口にさえ、赤くなってうろたえていたような気がする。
望美は胸に広がる甘い波紋を感じて、照れ笑いを浮かべながら上体を起こした。
譲がはっとして望美から目を逸らす。
自分を見下ろすと、片手でタオルケットを押さえただけでは、少し胸が見えてしまっていた。
慌ててタオルケットを自分の身体に巻きつける。
電気を消して、カーテンもしっかり閉めてあるから、昼間でもあまり明るくないのだけれど。
まだ慣れない。
望美も、譲も。
初めて身体を重ねてから、まだ数日しか経っていないのだ。
だが、独り家で受験勉強をしている譲を訪ねると、いつの間にかこうなっている。
望美も、こうなる事を少しだけ期待して、譲の両親が居ない時間帯に譲を訪ねている。
望美がタオルケットに包まったのを横目で確認してから、譲は遠慮がちにベッドへ腰掛けた。
「ミントティーです。」
グラスを受け取ると、少し強い、爽やかな香りが鼻を抜けていった。
「スーッとするね。」
「ええ、この匂いがストレスを緩和するそうです。」
「ふうん?」
譲がなぜそんな事を言うのか分からないまま一口飲む。
冷えたミントティーが、喉を潤す。
譲ほどではないが、望美も少し、喉が渇いている。
「少しは、安らぎますか・・・?」
意外な言葉に驚いて見ると、譲は不安そうに望美を見ていた。
「え?何で?ストレスあるように見える?」
「いえ・・・俺が・・・嫌な思いをさせているんじゃないかと思って・・・」
「嫌な思い?譲くんが私に?いつ?」
そんなの有り得ない。
望美が驚いているのを見て、譲は顔を赤くすると、眼鏡を上げながらボソボソと言った。
「・・・いつの間にか夢中になってしまって・・・貴女がどう感じているか把握できないまま・・・初めての時の方が、まだ優しくできたような気さえするんです・・・」
望美もかあっと赤くなる。
ベッドの上での話だとは、思わなかったのだ。
誤魔化すように、もう一口、ミントティーを飲む。
譲の言うとおり、譲は身体を重ねるごとに激しくなってきている。
おっかなびっくり望美に触れていた初めての時に比べれば。
べッドに押し倒す勢いも。
服を脱がす手つきも。
ふと目が合う時の瞳の迫力も。
身体を這う舌の動きも。
耳にかかる激しい息遣いも。
肉食動物に食べられる時ってこんな感じなのかも、と思ったりする。
そう。
確かに、怖い、と思う時はある。
だがその激しさは、おもちゃを欲しがって癇癪を起こす子供のようでもあって。
望美を心底欲しがっているからこその切実さだと分かるから。
自分がそんな風に求められているのは、嫌じゃない。
黙ってしまった望美を見て、譲がまた不安そうに口を開く。
「・・・ちょうど庭のミントがよく育っていたから・・・少しでも安らいでもらえたら、と思ったんですけど・・・」
「・・・うん・・・ありがと・・・」
恥ずかしさで、こんな風にしか答えられない。
譲は、望美の言葉を譲の反省に対する肯定と受け取ったらしく、小さく項垂れた。
ミントを摘んだせいで緑に染まってしまった爪の先をいじり始める。
望美はそれを見て、別人みたい、と思う。
ついさっきまで、猛り狂ったように自分を組み敷いていたのに。
終わったとたんに、飲み物を用意してみたり、反省してみたり、いじけてみたり。
弱気なくらいの優しさを見せる。
そんな優しい男の子である譲も好きだけれど。
想いを身体中から溢れさせて自分を求める、男としての譲はもっと好きだから。
もう一度、ミントティーを一口飲んで。
ちゃんと言わなきゃ、と真っ直ぐに譲を見る。
「あのね・・・私、譲くんとこういう事するの、好きだよ?」
譲がギョッとして顔を上げる。
何を言い出すのか、と書いてあるような譲の顔。
そんな顔をされると、自分がものすごく大胆な発言をしているような気がしてくるけれど。
「嫌じゃないし・・・ちゃんと・・・気持ちいい、よ?」
最後の方は小声になってしまったが、譲には伝わったらしい。
目を丸くしたまま、耳まで赤くしている。
本当は、少し痛いと思う時もある。
でも、譲に激しく求められる時の幸福感は、そんな痛みなど問題にならないくらい甘くて。
恥ずかしいから譲には言えないけれど、今までの人生で感じたことがないくらいの、気持ち良さがある。
それは、ファッション雑誌で時々見かけるエッチな記事のような快楽とは、少し違うみたいで。
多分、身体に与えられる快楽とは別の場所から発生している、気持ち良さ。
何度でも味わいたいと思わせる、脳内麻薬物質。
「だから・・・もう一回、しよっか?」
言ってから、ふと思う。
ただベッドに身体を預けて、全てを受け入れるだけの自分と違って。
譲は、汗だくになるほど動くのだから。
もう一度なんて、すごく疲れるんじゃないだろうか。
それに、アルバイトとサークル以外に予定のない夏休みを過ごしている自分と違い、譲は受験生だ。
あまり勉強の邪魔をしてばかりでは・・・
そっとグラスを奪われて、望美が我に返る。
「いいですか・・・?」
半分ほど残ったミントティーのことを言っているのだろうけれど。
すでに譲の瞳は、肉食動物の迫力で。
望美はもう、身体を火照らせながら頷くことしか、できない。
譲は立ち上がると、机に向かいながらグラスに残ったミントティーを飲み干す。
空になったグラスが机に置かれるのと同時に、ガリ、と氷を噛み砕く音がした。
静かな部屋に響いたその音は、やけに凶暴で。
望美は、譲がこれから水分を失うことに備えているのだと気付く。
獲物を前にして爪をとぐ、肉食動物が宿った背中。
身体の真ん中に、ジンと痺れが走って。
そんな事に感じている自分に恥じらいながら、食べられたいってこういう気分なんだ、とこっそり思う。
氷を食べつくした譲が、ベッドへ戻ってくる。
シャツを脱ぎ捨て、早くもはち切れそうになっているズボンを寛げながら、望美に歩み寄る。
望美は、その性急さに再び恥じらいながらも悦びを覚える。
そう、そんな風に。
少し、急ぎすぎるくらいがいい。
もっと、求めて欲しいから。
自分に、夢中になって欲しいから。
譲が躍りかかるようにベッドに乗って、望美を抱き締めながら押し倒す。
ベッドのスプリングが悲鳴をあげて、二人の身体が軽く跳ねて。
「先輩・・・!」
譲の掠れた声と、熱い息が、望美の首筋にかかる。
譲が肉食動物に変わる瞬間。
そして、望美が幸せな獲物に変わる瞬間。
望美は目を閉じると、小さく甘く、吐息交じりに囁いた。
譲を、煽るために。
もう一度。
さっきよりも、もっと熱く、愛してもらうために。
「・・・好きなようにして、いいからね・・・」




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