もう一度愛して -you-


重く湿った空の下で。
汗だくで、地面にしゃがみこんで。
譲は、ほど良く育った、ミントの葉を摘んでいた。
手早くミントの葉を摘み終えて、早足で台所に向かう。
火にかけておいた薬缶が湯気を立てている。
包丁でミントの葉を刻んで、紅茶の茶葉と一緒にティーポットへ入れて。
沸騰した熱湯を注ぐと、うだるような台所の気温が、更に上がった気がした。
ティーポットに蓋をして蒸らす。
その間にも、譲は忙しなく、氷で一杯にしたグラスを用意している。
手を動かしていないと落ち着かない。
動きを止めると、後悔ばかりが押し寄せて。
もっと、優しくできれば、とか。
どうして、止まれないのか、とか。
そんな事ばかり、考えて。
同時に。
望美の身体の感触が、肌に蘇って。
もう一度、欲しくなってしまうから。
濃い目に煮出したミントティーをグラスに注いで、再び氷を足して。
譲はやっと、タオルで汗を拭ってから。
二つのグラスをトレイに載せて、自分の部屋へ向かった。
ドアを開けようとして、手を止める。
望美が服を身につけている最中だったら、気まずい。
少し躊躇って、譲はノックをしてから部屋に入った。
望美はと言えば、先ほど譲が部屋を出た時のまま、うつ伏せにベッドへ横たわっていた。
譲のノックにも気付かなかったらしく、びくともしない。
「・・・寝てしまったのか・・・」
呟いて、勉強途中のまま放り出された机に向かう。
あんなに攻め立ててしまったのだ。
眠ってしまうのも無理はないかも知れない。
再び後悔の念が湧き上がるのを感じながら、譲はノートと参考書を閉じて、空いた場所にトレイを置いた。
喉が渇いていた。
望美がこの部屋に来た時から、ずっと。
つい数日前、初めて触れたばかりの身体。
望美にとっては辛いかも知れないと思うのに。
今は受験勉強に集中しなければいけないと思うのに。
知ってしまった感触は、どうしようもなく甘美で。
譲の勉強を邪魔するでもなく、ただ、譲のベッドに寝そべって雑誌を読んでいる望美を、いつの間にか抱き締めていて。
その時には、もう既に。
譲の喉は、どうしようもない熱で、干上がっている。
本当に、どうしようもない。
学校ではトップクラスの成績も。
弓道で培ったはずの精神力も。
想いが通じるまでの間、頑なに幼馴染の間柄を保ってきた理性も。
何の役にも、立たない。
譲は小さく息を吐いてから、二つあるミントティーの片方を一気に飲み干した。
さて、このまま彼女を寝かせておくべきだろうか、と思いながら。
望美を見ると、大きな瞳がじっとこちらを見つめていて、少なからず驚く。
「先輩、起きていたんですか?」
「うん。」
「起きていたなら、声をかけてくださいよ・・・」
言いながら、望美の分のグラスを持って、ベッドへ向かう。
先ほどまでの心の葛藤が顔に出ていなかったか、気が気ではないのだけれど。
望美を初めて抱いて以来、譲は、こんな時に余裕を演じる事ができるようになった。
もちろん、望美の身体を手に入れた事で得た余裕もある。
けれど、それ以上に、望美の視線が自信をもたらすのだ。
「譲くんを観察してたの。」
言って、望美は歩み寄る譲のシャツから覗く胸をチラリと見ると、すぐに瞳を逸らした。
明らかに、自分を男として意識している表情と、仕草と、戸惑い。
自分だけが、望美に翻弄されているのではないという、自信。
それが嬉しくて。
シャツのボタンは留めない。
それほど自信があるわけでもない胸板を、見せつけるような格好をして。
望美の視線を、誘ってしまう。
「俺を?・・・夏休みの自由研究ですか?」
譲の軽口には答えず、それでも少し嬉しそうに笑みながら、望美が身体を起こした。
タオルケットがずれて、望美の胸が露になる。
心臓が跳ねる。
さっきまでの余裕はどこへやら、譲はそれにどう対処すればよいか分からず、ただ以前までのように慌てて目を逸らす。
つい先ほどまで、執拗なほど眺め、触れていた胸なのに。
譲の間抜けな行動で気付いたらしく、望美も慌ててタオルケットを身体に巻きつけた。
電気を消して、カーテンもしっかり閉めてあるから、昼間でもあまり明るくないのだけれど。
まだ慣れない。
望美も、譲も。
初めて身体を重ねてから、まだ数日しか経っていないのだ。
望美がタオルケットに包まったのを横目で確認してから、譲は遠慮がちにベッドへ腰掛けた。
「ミントティーです。」
グラスを望美に渡す。
望美はグラスに口をつけようとして、香りに気付いたのか顔を上げた。
「スーッとするね。」
「ええ、この匂いがストレスを緩和するそうです。」
ミントティーにしたのには、訳がある。
「ふうん?」
いつもながら鈍い望美は、その訳を尋ねる風もなく、一口、それを飲んだ。
「少しは、安らぎますか・・・?」
思わず、譲は訊いていた。
望美が目を丸くする。
「え?何で?ストレスあるように見える?」
「いえ・・・俺が・・・嫌な思いをさせているんじゃないかと思って・・・」
「嫌な思い?譲くんが私に?いつ?」
どうやら、取り越し苦労だったようだ。
しかも、説明しなければならないらしい。
譲は顔が熱くなるのを感じて、いつもの癖でそれを誤魔化しながら言った。
「・・・いつの間にか夢中になってしまって・・・貴女がどう感じているか把握できないまま・・・初めての時の方が、まだ優しくできたような気さえするんです・・・」
望美の頬が急に赤くなる。
やっと気付いてもらえたらしい。
照れ隠しか、望美は俯いて、もう一口、ミントティーを飲んだ。
考え込むように固まってしまった望美の姿は、譲の言葉を肯定しているように見えて。
譲は望美に少しでも今の気持ちを伝えようと、言葉を探して継いだ。
「・・・ちょうど庭のミントがよく育っていたから・・・少しでも安らいでもらえたら、と思ったんですけど・・・」
「・・・うん・・・ありがと・・・」
望美は戸惑ったような顔のまま、譲を見ないで頷いた。
やはり、辛いのだろうか。
本当は、抱かれるのが嫌なのだろうか。
望美の戸惑った顔を見ていられずに俯くと、指先が緑に染まっているのが目に入った。
ミントを摘んだときに茎が爪の間に入り込んでしまったらしい。
気になって削り出す。
望美を抱く時に備えて、いつも爪を綺麗に整えておかないと気が済まない。
今も。
このあと、すぐに再び望美を抱く可能性など、無いに等しいのに。
どうしても、微かな期待と欲望が、勝ってしまう。
どうしても。
抱かれるのが嫌だとは、考えられない。
嫌だったら、譲の部屋になど、来なければいいのだから。
初めて身体を重ねて以来、望美は、ほとんど毎日のように譲を訪ねて来ている。
薄着のまま、ベッドの上に寝そべって、譲を待つように雑誌を読んでいる。
譲にとって、その行動は誘われているようにしか思えない。
そして、耐えられなくなった譲が椅子から立ち上がって振り向いた時の。
その気配に気付いて顔を上げる、望美の瞳。
期待が滲んだ、女の、瞳。
罠としか、思えない。
受験勉強は、計画より遅れに遅れている。
望美が帰った後も、行為を思い出しては火照る身体を持て余してしまう。
このままでは、本当に。
夏休みの間中、親には言えない行為に溺れてしまいかねない。
受験生としては、最悪の夏だ。
「あのね・・・私、譲くんとこういう事するの、好きだよ?」
ふいに、望美が言った。
思考に集中していた譲がギョッとして顔を上げる。
少しずつ冷えてきた譲の頭を再び沸騰させるような、ストレートすぎる、言葉。
「嫌じゃないし・・・ちゃんと・・・気持ちいい、よ?」
照れながら、消え入りそうな声になりながら、望美は一生懸命に言葉を紡いで。
譲はやっと、それが先ほどの譲の言葉に対する回答だと理解して。
同時に、全身が急速に火照っていくのを自覚する。
「だから・・・もう一回、しよっか?」
身体中が、ジンと痺れて。
喉が、干上がって。
もう、止まれない。
今、すぐに。
それでも譲は逸る気持ちを押さえて、望美が持っているグラスを、できるだけ優しく奪う。
「いいですか・・・?」
けれど、グラスを奪ってから了承を得るという形で焦りは明らかに表れてしまっていて。
なのに、望美はそんな事にも気付かず、期待を滲ませた女の瞳で頷いて。
譲は立ち上がると、机に向かいながらグラスに残ったミントティーを飲み干した。
渇いている。
喉が。
身体が。
溶けかけた氷まで、口に含む。
急速に、熱が灯っていく。
湧き上がる衝動に任せて、口の中の氷を噛み砕く。
身体の準備など、一瞬で。
トレイにグラスを置いてからは、ほとんど、本能のまま。
シャツを脱ぎ捨て、ズボンを寛げながら、ベッドで待つ望美に、歩み寄る。
ふと目が合った望美の瞳に、小さく悦びが浮かんでいるような気がした。
これが、罠なのだとしても。
構わない。
誘ったのは彼女。
それ以上に、欲しかったのは自分で。
結局は同じこと。
ベッドに乗るのももどかしく、柔らかい身体に、溺れる。
「先輩・・・!」
背筋を駆け上がっていく衝動を、言葉にして吐き出すと。
「・・・好きなようにして、いいからね・・・」
甘い声が、答えた。
再び全身を駆け巡る、痺れ。
これは、きっと。
罠。
それでも。
止まれないから。
止まりたくないから。
譲は、噛み付くように、望美の唇を塞いで。
凶暴な衝動に。
身を任せる。




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