01:廊下で擦れ違った、たったそれだけのことで
3回目。
今日は運が良い。
譲は小さく笑みを浮かべた。
他の女子生徒と一緒に図書室から出てきた望美の姿は未だ数十メートル先。
それでも譲のメガネはスカウターの如く完璧に望美を見つけ出す。
毎朝一緒に登校していても、やはりこうして校内で会えるのは嬉しくて。
望美が移動教室の時間になれば、それとなく用事を作って教室を出る始末。
今日の1回目はその作戦が当たった。
2回目は偶然。
たまたまトイレが混んでいたので遠い方へ出張したら、階段のところで鉢合わせた。
そして今も。
3回も会える日は、なかなか少ないのだ。
まだ望美は気付いていない。
それを良いことにガン見する。
笑顔を輝かせて友達との会話を弾ませて。
そんな風にお喋りな望美は、二人きりの時には見られない。
お堅い譲の話術では、望美との会話をそこまで盛り上げることが出来ないからだ。
息も絶え絶えで爆笑する様子に、思わず目を細める。
何がそんなに可笑しいのか知らないけど、もう可愛いったらない。
心の中で身悶えしながら、視線を移動する。
両腕で抱き締めるように抱えているのは、文庫本が5冊。
文庫の貸し出し制限は、確か3冊のはずで。
「あ、譲くんだ。」
望美がこちらに気付いたらしい。
友達との会話に弾んでいた声が、更に浮き立ったように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「先輩。」
落ち着きを装って微笑みを返しながら、譲は小さめの声で答え、会釈をして通り過ぎようとする。
望美に連れが居る時は、会話の邪魔をしないよう、あまり出しゃばらない。
けれど望美は珍しく立ち止まって、友達を待たせたまま喋り出した。
「今日は、よく会うね。」
「・・・っ、そうですね。」
一部やましい気持ちがある譲は思わず言葉に詰まるが、もとより望美が気付くはずもない。
「譲くんも、図書室?」
「いいえ、俺は職員室に呼ばれているんです。」
「ふうん?」
「現国の井上先生が、俺に用があるとかで。」
「へえ、学年末の点数がすごく良かったんじゃないの?」
「さあ・・・」
わくわく、といった風情の望美に、譲は首を傾げて曖昧に笑った。
テストの点数なら常に上位なので、今さら誉められるということはないだろう。
「・・・それより先輩、ずいぶんたくさん借りたんですね。」
譲が文庫本を見下ろす。
「あ、うん・・・」
照れ臭そうに望美がそれを抱え直すと、その下で胸が柔らく潰れた。
おお、と覗き込みかけた譲に、少しだけ寂しそうな声が落ちる。
「・・・卒業生に、特別貸出期間なんだって。」
卒業生。
頭にかかっていたエロ霞が、さっと冷たい霧になる。
思わず言葉を失って。
一瞬、見つめ合った望美の瞳は、とても寂しそうで。
けれど望美は我に返ったように笑顔を作ると、早口で言った。
「ほら、受験も終わっちゃって暇だから。」
「・・・え、ええ。」
譲も、合わせるように相槌を打つ。
望美は笑顔を貼り付けたまま、じゃあね、と手を振って、友達と共に背を向けた。
遠ざかっていく、小さな背中。
校内で望美に会うたび、譲は必ずと言っていいほど、その背中を見送ってきた。
もうすぐ。
望美が卒業してしまう。
もう、校内で会うこともできなくなる。
こうして、背中を見送ることさえも。
譲は胸に迫る想いを振り切るように、職員室へと歩き出した。
図書室を通り抜けて、その奥のドア。
「失礼します。」
開け放されたそのドアの前で、丁寧に礼をしてから中へと入る。
「いいお辞儀だねえ〜。」
見ると、待っていたらしい井上教諭が、感心の体で何度も頷いていた。
もともと高校教師にしては愛想の良いタイプだが、今日はいつにも増してニコニコ顔だ。
「弓道部だっけ?やっぱり武道をやってる子はさ、お辞儀が綺麗だよね〜。」
饒舌なその様子には、媚びさえ感じられて。
井上教諭は数枚の資料を持って譲を応接用ソファに促すと、譲が座るのを待ってから腰を下ろした。
「いや〜、今年の生徒会長はアレでしょ〜?ちょっと頼めなくてさ〜・・・」
訳の分からないことを言い訳のように言いながら、井上教諭は持っていた資料の中から、丁寧に折り畳まれた紙を取り出して見せる。
毛筆で、美しく書かれた表書き。
「・・・送辞、お願いしても良いかな?」
ね、これ昨年のなんだけど、内容なんてほとんど同じでいいからさ、などと言って手を合わせる井上教諭を、譲は、景時さんみたいだな、と思いながらぼんやりと見ていた。