05:持て余しがちな、この想い



譲は、折り畳まれた式辞用紙をもう一度開いて、昨年の送辞を読み返した。
再びそれを丁寧に畳んで、机の端に置く。
何度読んでも同じこと。
昨年とほとんど同じで良いとは言われたものの、それを書き写すわけにはいかないのだ。
原稿用紙には、昨年のマネ部分である簡単な時候の挨拶と、初っ端の祝辞だけ。
譲は椅子から立ち上がって窓際に歩み寄ると、そっとカーテンを開けた。
大量に借りた文庫本でも読んでいるのだろうか、受験が終わって以降消えがちだった望美の部屋の電気は、最近になって点いていることが多くなった。
望美と一緒に登校できなくなって、一週間。
校内で一度も会えない日もあって。
そんな日はたいてい、望美の顔を見ないまま、一日を終える。
家が隣というだけで、一緒に住んでいるわけでもない二人は、何か無理に理由を作らなければ帰宅後に会う術もない。
ことに最近は望美の父親の心象を悪くしてしまったせいで、譲は気軽に隣家へ遊びに行かれなくなってしまっていた。
不意に望美の部屋のカーテンに人影が映って、譲の心臓が跳ねた。
慌てて隠れる間もなく、淡いピンクのカーテンが開かれる。
顔を出した望美は突っ立っている譲を見つけて目を丸くすると、嬉しそうに目を細めてからカーテンの向こうに消えた。
再び彼女が現れると同時に、背後で携帯電話の着信音が鳴り響く。
窓の向こうの望美が、携帯電話を耳に当てている。
譲も慌てて充電器の上の携帯電話を取りに行き、再び窓際に立ってから、通話ボタンを押した。
『もしもし・・・』
「もしもし・・・」
お互いが見えている状態での通話。
照れ臭そうな声を、お互いに送って、受け取って。
それだけでじわりと胸が痛んで、譲は言葉を失う。
『・・・今、何してたの?』
小さな沈黙のあと、そう言った望美の声はやはり照れ臭そうだった。
「・・・送辞の文章を、考えていました。」
譲も、自分の声に照れが少しだけ滲んでいるのを自覚している。
『えっ?在校生代表って、譲くんなの?』
「はい。」
『生徒会も忙しいのに、大変だね。』
「ええまあ・・・生徒会の方は、やっと形になってきたんですが、式辞の文章というのは独特で、難しくて・・・」
『そうなんだ・・・』
望美の声が沈む。
他人の悩みを背負い込んでしまう優しい彼女に、愚痴は禁物。
譲は無理に明るい声を出す。
「・・・けれど、選ばれた以上は、頑張ってやり遂げますよ。それより、先輩は?」
『え?』
「先輩は、何をしていたんですか?」
『ん?・・・えっとね、うーん、何も・・・ベッドでゴロゴロしてた・・・』
半分誤魔化すような言い方ではあるが、てへっ、と笑った望美の様子は、本当に何もしていなかったらしかった。
「具合でも悪いんですか?」
そういう方向に思考が偏るのは、譲の癖のようなものだ。
『ううん、ちょっと、考えごとしてただけ。』
望美の言い方はそれ以上の追求を許さない雰囲気を持っていた。
「そう・・・ですか。」
『譲くん、どうしてるのかなって思ってたから、顔が見れて嬉しいよ。』
そんな言葉を不意に零すのは、望美の癖のようなもので。
「っ・・・そう、です、か。」
気の利いた返事も思いつかないまま、譲はぶつ切れのぎこちない応えを返す。
だってベッドでゴロゴロしながら自分のことを考えてたと言われて男が連想することと言えば、いやそんな、でもまさか。
いつもの如く、そんな譲の妄想に気付かない望美は、そのまま少し黙った。
『・・・・・・』
「・・・・・・」
譲も何も言えないまま、窓越しの瞳を見つめ返す。
『会いたい、ね。』
沈黙のあと、そう言った望美の声は、掠れていた。
「ええ、会いたいです。」
譲も小さな声で返す。
二人にとって、こうして窓越しに顔を合わせることは、会っているうちに入らないのだ。
触れ合いたい。
キスしたい。
会いたいという言葉に、二人は無意識のうち深い意味を乗せている。
『・・・・・・』
「・・・・・・」
再び、甘い沈黙。
それぞれがお互いに会いに行く口実を見つけ出そうと、考えを巡らせて。
だが、望美は急に俯いて言った。
『ごめん、送辞で忙しいのに邪魔して。』
「いえ・・・」
そして譲は咄嗟に言葉を選んでしまう。
送辞なんてどうでもいいからぶっちゃけ今すぐお触りしたいキスしたいという気持ちを、どう伝えたら良いのか分からなくて。
下心を綺麗に隠して会いたいとだけ言えば良いのだと気付く頃には、鈍感な望美が次のアクションを起こしてしまっている。
今も。
譲が言葉を探している間に、望美は顔を上げて再び口を開いてしまう。
『譲くんの送辞、楽しみにしてるね。彼氏の送辞に送られて卒業できるなんて、すごく贅沢なことだもの。』
くす、と柔らかく笑んで、望美は可愛らしく手を振ると、携帯電話を耳から外してカーテンの向こうに消えた。
ツー、ツーという無機質な音を聞きながら、譲はしばらく呆然と望美の部屋を見つめて。
いきなりダッシュで机に戻る。
携帯電話を脇に放り捨てて原稿用紙に向かうと、譲はスラスラとシャーペンを走らせ始めた。


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